褒めて育て、叱って大きくする(2) 

20170915川上光正先生ブログ



 また、叱り方だが、前述の
「他人の前ではしつこく叱らない」ほかにも、


 《やさしく叱る》

 叱る、というより注意を促す
といった感じが大切。


冗談まじりに叱るのも
場合によっては良い方法である。


 「まだ報告が届いていないが、
私の耳がつまってるのかなあ」

――要は、もったいぶらないで、
さりげなく叱ること。
いかにも叱っているという感を
見せないことである。


《真剣にあっさり叱る》

いつまでもくどくど叱ったり、
翌日もまた叱ったことを
むし返すのはタブーである。


 「そういえば、あのときも
似たようなミスをしたな」と
過去をさかのぼって
叱るのも部下をくさらせる。


いつまでも自分を許して
いないのだと思わせてしまう。


また、帰り際などに「そういえば・・・」
といった風に「ついで」に叱る、
真剣に短く叱って根に持たないことも
大切である。


《行為を叱って人を叱らない》

罪を憎んで人を憎まず。
「おまえは何をやらせても
ダメだな」というような、

人格を否定してしまうような
叱り方は絶対にさける。


行為と人格を切り離して、
「ここでキミがああした点が
よくなかったのだ」と行為だけを叱る。


他にも、他人と比較して叱らない、
逃げ道を閉ざしてしまうような
叱り方はしない、といった点も
大切である。


もっとも、ほめるにしても叱るにしても、
ここに書いた方法はあくまで
ノウハウである。


それ以前に、部下の心をしっかりつかみ、
絆を強く結び、いつも愛情をもって
接することが、より大切。


そうであれば、厳しく叱っても、
少しくらい怒鳴っても、
部下は安心してついてくる。

 
故松下幸之助氏は時折、
部下を強く叱責したあと、
部下の家に電話をかけ、

「さっきはちょっと言い過ぎた。
年のせいかこのごろは
怒りっぽくてなぁ」と言い、

なぜ叱ったのかをきちんと説明したあと、
これに懲りずにこれからも頑張ってくれ
とつけ加えることをしたという。


さすがは人使いの名人。
部下の喜ぶ顔が目に浮かぶような、
絶妙な叱り方であり、それが同時に
ほめ方にもなっている。

(拙著:『リーダーの精神哲学』 1997年発刊 より)

褒めて育て、叱って大きくする 

20170903川上光正先生ブログ


 人はほめて育てよ――
人材育成の最重要ポイントは
「ほめて伸ばす」ことだと
私は思っている。


一方に、叱って矯正する
という人の育て方もあるが、


私は、部下にしつこく、
必要以上に厳しく接することは
人材育成のメインには
ならないと思っている。


ほめるを主に、
叱るを従に育てるのが
もっとも効果的なのである。


しかし、ほめるも叱るもそ
う簡単なことではない。


ほめるのが甘言のタレ流しになったり、

叱るのが単なるウップン晴らしや
小言の場になってしまったのでは
逆効果である。

そこにはおのずと、
「よいほめ方」「よい叱り方」がある。

私が実行しているものをいくつか
紹介しておこう。


《人前でほめる》

人はほめられたら誰でも嬉しい。
それを人に誇りたくなる。

しかし、自分の口から言うのは
自慢しているようで気が引ける。

だから、みんなの前でほめるのが、
いちばん嬉しいし、ほめた効果も
最大になる。

叱るときはこの逆で本人だけに叱る。

 
但し、責任が全体に及んでいる場合や、
信頼の絆が強く結ばれている部下は、
人前で叱っても互いに理解し合える。


《順ぐりにさかのぼってほめる》

 Aさんは今度の仕事をうまくやった。
しかし、Aさんを育てたのはBさんであり、
Bさんを手助けしてやったのは
Cさんである・・・という具合に、

できれば、ほめ言葉を
サークル化してやる。

協同作業の場合は、特に一人に
賞賛が集中しないようにする。


《他人を引き合いに出してほめる》

 そういえば、B部長も
キミのことをほめてたよ、
などと他人の口を借りてほめてやると、
客観性が増して効果的である。
(次回へつづく)

(拙著:『リーダーの精神哲学』 1997年発刊 より)

長所伸張法が人材を育てる2 

20170815川上先生ブログ


 のちに、ある大企業の
社長になった人物は若いころ、

性格的にクセのある、
短気な人間だったので、

仕事熱心のあまり、
よく上司や同僚と衝突した。

自分で嫌気がさし、
先輩に相談したところ、

その先輩は
「君はこんぺい糖なんだよ」といった。


 「こんぺい糖には
イボイボのカドがあるように、
君にもカド、つまり欠点がある。

君はこのカドに嫌気がさし、
削ろうとしている。

そうすれば、まわりと
うまくいくんじゃないかと思って。
そうだろう」

「そうです」

「けれど、君が今、
そのカドをとったら、
『丸く』はなるだろうが、

その丸は小さな丸になってしまう。

それでは君という人間は
大きく伸びないだろう。

今はむしろ、欠点を直すことより、
長所を伸ばすことを考えるべきだ。

年を取れば、欠点は自然に直っていく。
そのとき長所が伸びていれば、
同じ丸でも、もっと大きな丸に
なっているはずだ」


 部下の育成法は、
このように長期的視点に立った
長所伸張法で行うのが
原則的には正しい。

多少のミスや欠点には目をつぶって、
長所を大きく伸ばしてやる
接し方が大切だ。

それは叱るよりほめる教育法、
厳しさで接するより温かさで
接することを第一義とする
人材育成法でもある。


 宮本武蔵は世に聞こえた
剣豪だったが、浪人生活が長く、
仕官するチャンスが少なかった。

なぜか。

 己の腕の修業、己の研磨にのみ
心をくだき、剣の上では、
他人を省みたり、人に温かく
接することが少なかった。

剣豪としては完全だったが、
指導者の面はあまり持って
いなかったのである。

 いうまでもなく、リーダーとは
指導者である。

仕事が出来、有能で
あるだけではよくない。
人を使い、人を育てられなくては
リーダーとしては務まらない。

つまり、自ら剣豪になるのではなく、
剣豪を育て、使いこなす
立場なのである。

 その育成法のポイントは、
人に温かい愛情で接し、
長所を伸ばしていく点にある。


(拙著:『リーダーの精神哲学』 1997年発刊 より)



長所伸張法が人材を育てる 

20170801川上先生ブログ


 別の項でも述べたように、
幼少時の私は〝目白カゴ〟
づくりに熱中したことがあった。

熱中という生やさしいものでは
なかったかもしれない。

それこそ寝食も忘れて、
異常なまでに集中し、執着した。

当然、学校の勉強はそっちのけであった。
だが、私の母親は小言めいたことは
いっさい言わなかった。

 「そんなことをしていないで、勉強しなさい」
 そういうことは一言も口にしなかった。

それどころか、
 「おまえは根気がある」「ようあきもせず」
 とほめてくれ、励ましてくれさえした。

まことに母親とはありがたい存在である。
その愛情は掛け替えがない。

そのような母に育てられたことに
私は感謝しているし、誇りに思ってもいる。


 もし、あのとき母から
「目白カゴなどやめなさい」と
一方的に禁止されていたら、
どうなっていたか。

私は人並みはずれた集中力と根気を持つ
人間になれなかったかもしれないし、
であれば、ヨガの奥義をきわめることもできなかった。
現在のような形での私はありえなかったであろう。


 このことは、教育とは、部下の人材育成法とは、
欠点の矯正であってはいけない、
長所の伸張であるべきだということにも通じる。

 アメリカの子どもの教育法は、
子どもの個性や長所に着目し、

多少の欠点には目をつぶっても
長所を伸ばそうとする。

それに対して、日本では、
子どもの欠点や劣っている部分を直して、
全体に平均的な子どもを育てようとする
傾向があると言っている。

日本の教育が画一的であることは
以前から指摘されるところである。

 日本の教育法、
すなわち欠点矯正型の教育法の
すべてが悪いわけではないが、

人を育てようとするなら、やはり、
アメリカ式の長所伸張法で
接するほうがいい場合もある。

遊びに熱中していたら、
その無意味さを指摘してやめさせるより、

その根気のよさを認めたほうが、
人は育つのである。(次回へつづく)


(拙著:『リーダーの精神哲学』 1997年発刊 より)

リーダーはいつも期待感を表明する2 

20170725川上先生ブログ


人の能力とは、
たいてい潜在的なもので

初めのうちは隠されて
表面化しないものである。

いったん開花すれば
メキメキと成長するが、

開発されず潜在能力のままで
終わってしまうことも珍しくない。

それを開花させるかどうかは
リーダーの仕事であり、
責任でもある。

そのためには、

「その長所を迷わず伸ばしていけ」
「キミならできる」

とたえず期待して励まして
やることが肝心になってくる。


子どもを育てるお母さんがよく、
「もっと勉強しなきやダメじゃない」
「○○してはいけません」と
〝否定語〟を連発しているが、

これは育てる方法としては
マイナス面のほうが大きい。

禁止を強制する言葉を聞かされると、
子ども(大人も同じ)は萎縮するか
反発するかのどちらかである。

そうではなくて、
「そうするより、こうしたほうがもっといいぞ」
「ここをこう直せばもっと伸びるよ」という

〝肯定語〟をまぜて、
かならず成功の可能性を強く
示唆してやることが大切である。

そうした期待感の表明が
人を刺激し、発奮させ、
能力開発の糸口となり、

ひいては人材育成の
要因になるからだ。


期待感の表明とはつまり
可能性の暗示である。

暗示での表現の力は

人の潜在意識領域へ降りていって、
そこに潜む潜在能力を表へ
引っ張り出すことができる。

私は、暗示とは教育であり、
部下育成の第一のポイントで
あると思っている。


私か主宰する経営・暝想塾や研究所には、
自己探求や潜在能力開発を目的とした

会社の代表者や管理職、
その他さまざまな悩み、
心身の不調を持つ人が訪れてくる。


その人たちの潜在意識を解明しながら、
魂の傷を癒し、解放して

創造的自己変革の援助をすることが
私の責務だが、

なかにはたいへん困難な問題もある。

そんな状況のときでも私は
〝否定語〟を使わない。

 「絶対大丈夫、心配しなくていい」
 「迷いや不安は解消します。
大丈夫です。自分を信じなさい」
 「努力実践すれば、必ず結果は出ます」

 などと、断定的に成功の可能性を明言し、
期待感を表現する。

それが彼らの魂を癒し、
潜在能力を開発する第一歩となるからだ。


部下を育て、
さらに自分を成長させたかったら、

人にも自分にも
「期待感を表明する」暗示を
与えることである。

(拙著:『リーダーの精神哲学』 1997年発刊 より)