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精神哲学に貫かれた「悠久」の経営2 

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しかし、平成九年七月、
出光興産は、氏が掲げた
終身雇用制度の堅持を見直し、
契約社員制度を検討、二年後には
実施するとの方針を打ち出した。

出光氏が没して経営者が替わり、
氏の善意のカルマも希薄になってきたようだ。

何度か引き合いに出すが、
アメリカの鉄鋼王A・カーネギー。

彼もまたきわめて貧しい
スコットランドの家に生まれたが、
母親の無私の愛情に恵まれて育った。

母親は毎日十六時間から
十八時間も働きながら、
カーネギーの一枚しかないシャツに
毎晩アイロンをかけるのを
忘れないような女性であった。

カーネギーもこの母を熱愛して、
二十二才のときに、
「お母さんがいる限り、
ぼくは結婚しません」と宣言し、

その通り、母の死後、五十二歳に
なるまで独身で通したといわれる。

彼は「自分の頭は母親ゆずりだ、
この成功の原動力も母を思う
気持ちがあればこそだ」といつも明言していた。

つまり、母親との双方向の
強い愛情が彼の善的なカルマを形成し、
それがカーネギーの大成功の要因の一つとなったのだ。

公共図書館へ六千万ドル、
教育制度改善のために七千八百万ドル─

彼が一生の間に各方面へ寄付した金額は
計三億六千万ドルといわれる。

巨額の富をなぜ寄付するのかの問いには、
 「金を残して死ぬのは恥辱だからね」と答えていたという。

この私利を排した立派な行いは、
愛情豊かな母親との間に培われた
「善意のカルマ」に起因しているといえる。

このように、人の行為は必ず
過去にその要因を持ち、また、
現在の行いは未来の善悪の種となる。

善意のカルマはよい経営を可能にし、
よい経営は次の善意のカルマを再生産する。

そのためには、経営者は
精神哲学に目ざめ、愛ある、
魂ある経営を実践しなくてはならない。

『ウパニシャッド』は次のように説く。

『人はじつに意向からなる。
人がこの世においていかなる意向をもったとしても、

この世を去ったのちに、かれは
そのとおりに意向がかなう。
[それゆえに]人は意向を〔正しい方向一に定めるべきである〕と・・・・。

(『チャーンドー・ギヤ・ウパニシャッド』chand. Up. III. ,14, 1)

意向を精神哲学、
魂と言い替えてもよい。

そして、すぐれた魂=アートマンは、
『不生、常住、常恒、
悠久なるものであって、
身体が殺されつつあるときにも、殺されることがない』

(『カータカ・ウパニシャッド』二-一八)

 すぐれた経営哲学と精神哲学を
共有した経営者の会社もまた「悠久」である。

(拙著:『リーダーの精神哲学』 1997年発刊 より)

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明るく磨かれた本田宗一郎氏の魂 




松下幸之助氏と並び称される
名経営者に本田技研の創始者・
故本田宗一郎氏がいる。

いずれも裸一貫から身を起こして
自社を世界的企業にまで
育て上げた名伯楽である。

本田氏をそうならしめた彼の
カルマや超潜在意識の「質」は、
では、どのようなものであったか。

結論からいうと、
松下氏のそれが徳、意志、
信念といった色合いを
有しているのに比し、

本田氏のは楽天、奔放、
天資天性の「明るい」ものである。

むろん、そのカルマが
善意なものであることは
いうまでもない。

ホンダがまだ浜松の
町工場にすぎない時代から、

「オレたちは世界を目指すぞ」
と口にし、周囲から〝ホラ吹き〟
と呼ばれていた。

希望をいつも公言できる明るさ、
けっして物事を悲観しない
楽天性は、人の上に立つ
人間に不可欠の要素であり、

本田氏が若い頃から備えていた
資質であろう。

創業の翌年、本田氏は
融資のためある大銀行の
支店を訪れ、いきなり
「金を貸してくれ」と頼み込む。

驚いた支店長が、
それでも見所ありと踏んだのか、
彼を料亭へ招待する。

氏はケロリとそれに
応じたという。
この豪放磊落と純真無垢な魅力。

また、本田氏は若者が好きで、
若手社員にも、折にふれて
言っていた。

「会社のために、なんて思うな。
自分の生活をエンジョイする
ために働け」

「大人から〝いい子〟だなんて
いわれるようじゃ、その大人
以上に伸びやしない。

大人に〝悪い子〟といわれる
のを恐れないで、若者らしく
勇気を持っていろいろな経験をし、
視野を広げておくことが大切だ」
――と。

氏も自らこのように生きた
若者であったが、

若い人の将来性を信じ、
その可能性を認めることが
旧世代の責任と考えていた彼の、
オープンマインドな人材育成術を
見るようである。
(次回へつづく)

(拙著:『リーダーの精神哲学』 1997年発刊 より)

褒めて育て、叱って大きくする(2) 

20170915川上光正先生ブログ



 また、叱り方だが、前述の
「他人の前ではしつこく叱らない」ほかにも、


 《やさしく叱る》

 叱る、というより注意を促す
といった感じが大切。


冗談まじりに叱るのも
場合によっては良い方法である。


 「まだ報告が届いていないが、
私の耳がつまってるのかなあ」

――要は、もったいぶらないで、
さりげなく叱ること。
いかにも叱っているという感を
見せないことである。


《真剣にあっさり叱る》

いつまでもくどくど叱ったり、
翌日もまた叱ったことを
むし返すのはタブーである。


 「そういえば、あのときも
似たようなミスをしたな」と
過去をさかのぼって
叱るのも部下をくさらせる。


いつまでも自分を許して
いないのだと思わせてしまう。


また、帰り際などに「そういえば・・・」
といった風に「ついで」に叱る、
真剣に短く叱って根に持たないことも
大切である。


《行為を叱って人を叱らない》

罪を憎んで人を憎まず。
「おまえは何をやらせても
ダメだな」というような、

人格を否定してしまうような
叱り方は絶対にさける。


行為と人格を切り離して、
「ここでキミがああした点が
よくなかったのだ」と行為だけを叱る。


他にも、他人と比較して叱らない、
逃げ道を閉ざしてしまうような
叱り方はしない、といった点も
大切である。


もっとも、ほめるにしても叱るにしても、
ここに書いた方法はあくまで
ノウハウである。


それ以前に、部下の心をしっかりつかみ、
絆を強く結び、いつも愛情をもって
接することが、より大切。


そうであれば、厳しく叱っても、
少しくらい怒鳴っても、
部下は安心してついてくる。

 
故松下幸之助氏は時折、
部下を強く叱責したあと、
部下の家に電話をかけ、

「さっきはちょっと言い過ぎた。
年のせいかこのごろは
怒りっぽくてなぁ」と言い、

なぜ叱ったのかをきちんと説明したあと、
これに懲りずにこれからも頑張ってくれ
とつけ加えることをしたという。


さすがは人使いの名人。
部下の喜ぶ顔が目に浮かぶような、
絶妙な叱り方であり、それが同時に
ほめ方にもなっている。

(拙著:『リーダーの精神哲学』 1997年発刊 より)

褒めて育て、叱って大きくする 

20170903川上光正先生ブログ


 人はほめて育てよ――
人材育成の最重要ポイントは
「ほめて伸ばす」ことだと
私は思っている。


一方に、叱って矯正する
という人の育て方もあるが、


私は、部下にしつこく、
必要以上に厳しく接することは
人材育成のメインには
ならないと思っている。


ほめるを主に、
叱るを従に育てるのが
もっとも効果的なのである。


しかし、ほめるも叱るもそ
う簡単なことではない。


ほめるのが甘言のタレ流しになったり、

叱るのが単なるウップン晴らしや
小言の場になってしまったのでは
逆効果である。

そこにはおのずと、
「よいほめ方」「よい叱り方」がある。

私が実行しているものをいくつか
紹介しておこう。


《人前でほめる》

人はほめられたら誰でも嬉しい。
それを人に誇りたくなる。

しかし、自分の口から言うのは
自慢しているようで気が引ける。

だから、みんなの前でほめるのが、
いちばん嬉しいし、ほめた効果も
最大になる。

叱るときはこの逆で本人だけに叱る。

 
但し、責任が全体に及んでいる場合や、
信頼の絆が強く結ばれている部下は、
人前で叱っても互いに理解し合える。


《順ぐりにさかのぼってほめる》

 Aさんは今度の仕事をうまくやった。
しかし、Aさんを育てたのはBさんであり、
Bさんを手助けしてやったのは
Cさんである・・・という具合に、

できれば、ほめ言葉を
サークル化してやる。

協同作業の場合は、特に一人に
賞賛が集中しないようにする。


《他人を引き合いに出してほめる》

 そういえば、B部長も
キミのことをほめてたよ、
などと他人の口を借りてほめてやると、
客観性が増して効果的である。
(次回へつづく)

(拙著:『リーダーの精神哲学』 1997年発刊 より)

長所伸張法が人材を育てる2 

20170815川上先生ブログ


 のちに、ある大企業の
社長になった人物は若いころ、

性格的にクセのある、
短気な人間だったので、

仕事熱心のあまり、
よく上司や同僚と衝突した。

自分で嫌気がさし、
先輩に相談したところ、

その先輩は
「君はこんぺい糖なんだよ」といった。


 「こんぺい糖には
イボイボのカドがあるように、
君にもカド、つまり欠点がある。

君はこのカドに嫌気がさし、
削ろうとしている。

そうすれば、まわりと
うまくいくんじゃないかと思って。
そうだろう」

「そうです」

「けれど、君が今、
そのカドをとったら、
『丸く』はなるだろうが、

その丸は小さな丸になってしまう。

それでは君という人間は
大きく伸びないだろう。

今はむしろ、欠点を直すことより、
長所を伸ばすことを考えるべきだ。

年を取れば、欠点は自然に直っていく。
そのとき長所が伸びていれば、
同じ丸でも、もっと大きな丸に
なっているはずだ」


 部下の育成法は、
このように長期的視点に立った
長所伸張法で行うのが
原則的には正しい。

多少のミスや欠点には目をつぶって、
長所を大きく伸ばしてやる
接し方が大切だ。

それは叱るよりほめる教育法、
厳しさで接するより温かさで
接することを第一義とする
人材育成法でもある。


 宮本武蔵は世に聞こえた
剣豪だったが、浪人生活が長く、
仕官するチャンスが少なかった。

なぜか。

 己の腕の修業、己の研磨にのみ
心をくだき、剣の上では、
他人を省みたり、人に温かく
接することが少なかった。

剣豪としては完全だったが、
指導者の面はあまり持って
いなかったのである。

 いうまでもなく、リーダーとは
指導者である。

仕事が出来、有能で
あるだけではよくない。
人を使い、人を育てられなくては
リーダーとしては務まらない。

つまり、自ら剣豪になるのではなく、
剣豪を育て、使いこなす
立場なのである。

 その育成法のポイントは、
人に温かい愛情で接し、
長所を伸ばしていく点にある。


(拙著:『リーダーの精神哲学』 1997年発刊 より)



長所伸張法が人材を育てる 

20170801川上先生ブログ


 別の項でも述べたように、
幼少時の私は〝目白カゴ〟
づくりに熱中したことがあった。

熱中という生やさしいものでは
なかったかもしれない。

それこそ寝食も忘れて、
異常なまでに集中し、執着した。

当然、学校の勉強はそっちのけであった。
だが、私の母親は小言めいたことは
いっさい言わなかった。

 「そんなことをしていないで、勉強しなさい」
 そういうことは一言も口にしなかった。

それどころか、
 「おまえは根気がある」「ようあきもせず」
 とほめてくれ、励ましてくれさえした。

まことに母親とはありがたい存在である。
その愛情は掛け替えがない。

そのような母に育てられたことに
私は感謝しているし、誇りに思ってもいる。


 もし、あのとき母から
「目白カゴなどやめなさい」と
一方的に禁止されていたら、
どうなっていたか。

私は人並みはずれた集中力と根気を持つ
人間になれなかったかもしれないし、
であれば、ヨガの奥義をきわめることもできなかった。
現在のような形での私はありえなかったであろう。


 このことは、教育とは、部下の人材育成法とは、
欠点の矯正であってはいけない、
長所の伸張であるべきだということにも通じる。

 アメリカの子どもの教育法は、
子どもの個性や長所に着目し、

多少の欠点には目をつぶっても
長所を伸ばそうとする。

それに対して、日本では、
子どもの欠点や劣っている部分を直して、
全体に平均的な子どもを育てようとする
傾向があると言っている。

日本の教育が画一的であることは
以前から指摘されるところである。

 日本の教育法、
すなわち欠点矯正型の教育法の
すべてが悪いわけではないが、

人を育てようとするなら、やはり、
アメリカ式の長所伸張法で
接するほうがいい場合もある。

遊びに熱中していたら、
その無意味さを指摘してやめさせるより、

その根気のよさを認めたほうが、
人は育つのである。(次回へつづく)


(拙著:『リーダーの精神哲学』 1997年発刊 より)

リーダーはいつも期待感を表明する2 

20170725川上先生ブログ


人の能力とは、
たいてい潜在的なもので

初めのうちは隠されて
表面化しないものである。

いったん開花すれば
メキメキと成長するが、

開発されず潜在能力のままで
終わってしまうことも珍しくない。

それを開花させるかどうかは
リーダーの仕事であり、
責任でもある。

そのためには、

「その長所を迷わず伸ばしていけ」
「キミならできる」

とたえず期待して励まして
やることが肝心になってくる。


子どもを育てるお母さんがよく、
「もっと勉強しなきやダメじゃない」
「○○してはいけません」と
〝否定語〟を連発しているが、

これは育てる方法としては
マイナス面のほうが大きい。

禁止を強制する言葉を聞かされると、
子ども(大人も同じ)は萎縮するか
反発するかのどちらかである。

そうではなくて、
「そうするより、こうしたほうがもっといいぞ」
「ここをこう直せばもっと伸びるよ」という

〝肯定語〟をまぜて、
かならず成功の可能性を強く
示唆してやることが大切である。

そうした期待感の表明が
人を刺激し、発奮させ、
能力開発の糸口となり、

ひいては人材育成の
要因になるからだ。


期待感の表明とはつまり
可能性の暗示である。

暗示での表現の力は

人の潜在意識領域へ降りていって、
そこに潜む潜在能力を表へ
引っ張り出すことができる。

私は、暗示とは教育であり、
部下育成の第一のポイントで
あると思っている。


私か主宰する経営・暝想塾や研究所には、
自己探求や潜在能力開発を目的とした

会社の代表者や管理職、
その他さまざまな悩み、
心身の不調を持つ人が訪れてくる。


その人たちの潜在意識を解明しながら、
魂の傷を癒し、解放して

創造的自己変革の援助をすることが
私の責務だが、

なかにはたいへん困難な問題もある。

そんな状況のときでも私は
〝否定語〟を使わない。

 「絶対大丈夫、心配しなくていい」
 「迷いや不安は解消します。
大丈夫です。自分を信じなさい」
 「努力実践すれば、必ず結果は出ます」

 などと、断定的に成功の可能性を明言し、
期待感を表現する。

それが彼らの魂を癒し、
潜在能力を開発する第一歩となるからだ。


部下を育て、
さらに自分を成長させたかったら、

人にも自分にも
「期待感を表明する」暗示を
与えることである。

(拙著:『リーダーの精神哲学』 1997年発刊 より)


リーダーはいつも期待感を表明する 

20170716川上先生ブログ


心理学の用語に「ピグマリオン効果」
という言葉がある。

ピグマリオンとはギリシャ神話に出てくる
キプロス王の名前。

彼は彫刻が巧みで、自分が作った
女性像の驚くほど素晴らしい出来栄えに
恋をしてしまい、

どうにか生身の人間に
変えられないものかと熱烈に願った。

神もこれを哀れみ、彫刻に
生命を吹き込んだので
王は彼女とめでたく結婚した。


この神話から転じて、人が人に対して
「こうなってほしい」「きっとそうなるはずだ」と

その潜在的可能性を
心から信じ、期待すると、

相手も必死でその期待に
応えようと努力する。

それが事を成就させる。


つまり、期待感の効用を心理学では
ピグマリオン効果と呼んでいる。

人の上に立つリーダーは、
この「人に期待して人材を育てる」方法
をよく心得ているものである。


幕末の長州で、高杉晋作や木戸孝充
といった逸材を数多く育てた
松下村塾の塾長・吉田松陰が、

この期待感の効用の〝名手〟
だったといわれる。

彼はどんな塾生に対しても、
短所よりも長所をいち早く見抜き、

それを集中的にほめ、
期待を口に出すことで
人材の能力を伸長させてやった。


たとえば、貧しい階級の出身で、
いつもビクビクと周囲の目を
気にしてばかりいる一人の少年塾生にも、

 「俊輔には周旋(政治折衝力)の才あり」
 と、その才能を見抜いて、

おまえには将来性がある
と期待をかけてやった。

俊輔とは、のちに日本の初代総理大臣となり
「周旋屋」の異名もとった伊藤博文である。
(次回へつづく)


(拙著:『リーダーの精神哲学』 1997年発刊 より)


つねに「まだ」型思考と性善説で部下に接する2 

20170615川上先生ブログ


人を教え育てる時に、
人の欠点やミスばかりを指摘して、

「君はここが悪い、
ここでいつも失敗する。
すぐに直しなさい」と

減点法で指導する人がいる。

これは部下にとってみると、
たとえ指摘されたことが事実であっても、

どこか叱られている気がして
萎縮しやすい。

教育法として減点法=性悪説は
効果的ではないのである。


それよりも、
長所やプラス部分に着目して、

「君はこういういい面、
すぐれた点を持っているから、
そこを伸ばすようにしなさい」と

加点法で教え、性善説で接したほうが
人材は伸びる。

短所は、他人からの指摘では
改まりにくいが、

長所は他人からのホメ言葉によって
大きく伸びていく。


 「人を動かそうとする場合、
相手の長所を見るのに九の力を用い、
短所を見ることには一の力しか用いない」

 とは、故松下幸之助氏の言葉である。


 性善説思考の大切さは、
人材育成のみならず、リーダー自身の
人間的資質の面でも重要である。


 たとえば、砂漠で道に迷ったときに、
水筒に水が半分残っているとしよう。

 このとき、
「もう半分しか残っていない」と考えるか。
「まだ半分も残っている」と考えるか。
あなたはどちらだろうか。


前者は物事を否定的、悲観的に考えるタイプ、
後者は肯定的、楽観的にとらえるタイプだが、

いずれが人の上に立つリーダーとして
適任かといえば、間違いなく後者の
「まだ」型思考のできる人に軍配が上がる。


まだ型思考、つまり物事を
肯定的にとらえるということは、

否定的事実から目をそらせ
という意味ではない。

状況は悲観的であっても、
つねに希望や明るさは失うな、
ということである。

苦しいときにも「まだ」と希望を持ち、
笑っていられるリーダーに、
人は信頼と安心を寄せ、
従うものである。

リーダーは、絶望という「愚か者の結論」を
簡単に出してはならない。

(拙著:『リーダーの精神哲学』 1997年発刊 より)


つねに「まだ」型思考と性善説で部下に接する 

20170601川上先生ブログ

D・マグレガーという心理学者が、
X理論とY理論を唱えている。


X理論とは、人間は本来、働くことを
好まない動物だとする考え方だ。


だから、上司は部下の尻をつねに叩き、
命令を下して働かせることを
強制しなくてはならない。


これに対して、Y理論は人間は
生来、働くことを好むから、

上役が働きやすい環境をつくってやれば
部下はよく働くようになるとする理論だ。


これは、人を育てるのに
「減点法」で行うか、
それとも「加点法」でするか

という問題にも通じるし、

また、人を
「性悪説」の立場に立って見るか、
「性善説」の立場で見るか

という人間観にも通じる。


人間は果たして性善か性悪か。


つまり、人間は本来、
善の動物であるか、

放っておくと悪い方向へ
いってしまう性悪の生き物か

――これもまた難しい問題であり、
長い間、議論が続けられてきた。


思うに、共産主義とか現在の日本の
管理的な教育体制などは、

性悪説を前提にそのシステムが
構築されている。

個人や生徒の自由を尊重するよりも、
法や校則によって徹底的に
その行動や言動を管理する。

そうでないと、国家の運営も
学校の秩序も維持できない。

それぞれの指導者がそう
「性悪説」的立場で考えている。


その結果、旧ソ連や東ドイツの
共産主義は衰退してしまったし、

日本の学校は三無主義など
妙に生気のない画一的な
子供をつくり出している。


これから言えるのは、
性悪説では真に人を
育てることはできないし、

組織の確固たる運営は
できないのではないかという点である。

リーダーは人を性善説で見、
減点法でなく加点法で
育てなくてはならないということだ。
(次回へつづく)

(拙著:『リーダーの精神哲学』 1997年発刊 より)


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