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魂について(その3)     

歴史上の偉人たちは魂について以下のように説いています。

Ⅰ.プラトン(前427~前347)


「魂なき存在には、悪といい、善といい、いうに価するほどのものは何もないのであり、善悪は個々の魂に、それが魂に、それが肉体とともにあるにせよ、体現されるものだからである。かの古来の聖なる言い伝えは、常に心底から信じなければならない。それがわれわれに示すところによれば、魂は不死であり、人が肉体から解き放される時には、必ず裁きを受け、最大の報いを受けねばならないのである」と述べ、さらにプラトンは善と悪について「肉体的感管の対象たる個物は真の実存ではなく、霊魂の目でとらえられる個物の原型たる普遍物(イデア)が真の実在である」と説いている。


Ⅱ.ソクラテス(前470~前399)


「汝自身を知れ」という言葉を残したことで知られている。彼は、人間の生き方として精神の哲理を探求し、魂の意識や神の意識を自己の内面に感じた哲人であろう。「魂が輪廻転生することは確かなことだと思う。この説に同意するのは決してだまされてのことではない」と述べ、「私は楽しい希望に燃えて死の旅に出かけるのだ」「善き人には生きている時も死んでいる時も悪しきことは一つもない」と伝え、「この一事は真実のこと」とその信念を明確にし、最後に「『死は静寂のうちに』と聞いているから皆静かにしてくじけないでいてくれたまえ」と言い残してソクラテスの魂は昇天したと受けとれる。


Ⅲ.アリストテレス(前384~前322)


「生命を可能態においてもっている自然物体の形相としてあるものでなくてはならない」「可能的に生命をもつ自然物体の最初の完成態である」「自らのうちに運動を静止の原理をもっている特定の自然物体(生物)のロゴスである」と。


Ⅳ.M・メーテルリンク(1862~1949)

『貧者の宝』の“魂の目覚め”の中で次のように語っている。「……私がいいたいのは、この世の自分たちの不変の権利などまったく意に介しない人々の、この上なく平凡な生活の中で絶えず起こっている魂の出来事や、その介入のことなのだ。また、そうしたものを私はここで問題にしているのだ。人類を一段階高めるこの探求はまだ始まったばかりであるが、遅かれ早かれその進歩とともに今なお罷り通っている粗雑な心理学など誰からも容認されなくなるだろう」と。



MP900401258[1]

本年も私の「スピリチュアルメッセージ」を読んで下さり、どうも有難うございました。
2014年も<愛と癒しとスピリチュアルな情報>を発信していきます。
皆様よいお年をお迎えください



癒しの光っちゃん 川上光正 記

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魂とは何か(その2) 

魂とは何か

 相変わらず、魂の真意・本質がわからずに魂という字を書いたり、「魂・タマシイ」と言ったりする方が多いようです。
魂について私の師であり『ウパニシャッドの思想』の著者である中村元博士は、魂・アートマンについて次のように考察しています。
「人間の奥に「本来の自己」とでもいうべき絶対のものがあり、それがわれわれのよるべきものであるから、それに頼ることによってすべてのものを愛することができるようになる――ということを説いているのであろう。絶対のものはどこにあるのか、人間を離れたところにあるのではない。人間のうちなるものである」

 また、『シャンカラ』(島岩著 清水書院2002)では、アートマンの本性を次のように示しています。

「知覚主体の問題は、精神と物質との関係のありように関わる問題であると同時に「私」の成り立ちとも関わる問題である。アートマンとは本来精神性を本質とし、知そのものであり、永遠不変で、活動を有しない、自ら輝く光のようなものであるとされる。一方、物質は非精神的なもので、無常で変化し、活動を有する。そして、われわれが通常、知覚や経験など精神的活動を行っている内官も、この物質に属する。さらに、この両者は本来無関係なものである。だとすると、知覚や経験などの精神的活動は生じないはずだ。なぜなら精神は活動せず、物質は精神ではないのだから。だが現実には、われわれは知覚し経験している。だとすれば、精神と物質の間には何らかの関係があるはずだ。それはどのような関係だろうか。
 シャンカラの答えは、精神(アートマン)と物質(内官)その相互付託すなわち無明がそれであるというのである。すなわち、アートマンの精神性が内官に付託されることで、内官はあたかも精神であるかのように立ち現れ、逆に、内官の活動主体であるかのように立ち現れるというのである」

癒しの光っちゃん  川上光正 記
 
 
 
 
 
 

本を楽しむ読書交流会 

MP900448290[1]


読書を楽しみ、多くの本を通して
交流を広げていきたい方々お集まりください!


「本を楽しむ読書交流会」は、読書を楽しみながら多くの方々、著書と出会い、読書家の方々が本を通して交流する会です。
「体の栄養は食物から、心の栄養は読書から」 ――役に立った本、感動した小説、仕事に活かせる本、心理や哲学の本、心が喜ぶ本など、読んで良かった本を紹介しながら交流をはかります。
“愛読書”“座右の書”を持参してお互いに紹介し、その著書や著者との出会いを大切に絆を深めていきましょう!


◆読書交流会への参加資格  【ご入会が必要です】 
 本が好きな男性および女性。

◆会員の種類
 読書会員――読書が好きで、会員同士の親睦を深め、ジャンル問わず様々な本への興味
      を示す積極的な会員。
 朗読会員――会員及び多くの人々の前で著書を朗読する会員。

◆会費
 入会金や会費はございません。
 お申し込みをすればどなた様でも会員として交流ができます。
 但し、交流会での飲食代は実費です。

◆注意事項
 ①特定の宗教や政治、イデオロギーを持ち込むことはできません。
 ②交流会での個別の営業活動は禁止しています。
  但し、会員より申し出があった場合はこの限りではありません。

◆読書交流会へのご入会方法
 下記までお電話もしくはメールにてご連絡を下さい。 

【お問合せ・ご入会の連絡先】  
 本部:癒しのA&A  
    福岡市中央区大名2丁目4番5号 サンリベラ天神大名1階
    Tel.092-733-1106
    Mail.cocoro@aa-cocoro.com (件名に「読書交流会」と入れて下さい。)



最近、書店に“魂”に関する著書が多いようです! 

「魂とは何か」
「魂にふれる」

そこで、私なりに魂とは何かについて考えて見ました。

魂とは何か(その1)
多くの人は良く“魂”という言語を書いたり“たましい”と呼んだりしています。
その意味、概念を理解しているのかは定かではありませんが、私は“魂とは何か”とこの40年考え究明しています。その全容はわかっていませんが、これまで私がまとめた論文「魂・純粋精神の概念と定義」の中から抜粋して簡単に述べてみます。

まず、古代インド聖典『ウパニシャッド』では「魂とはアートマンである。」といい、次のような記述がありますので述べてみます。

『アートマンは純粋の知である』
『アートマンは認識の主体である。アートマンは把捉されず、破壊されず、執着されることもない。束縛されず、動揺せず、害されることもない。それは不死である。』と。

英語では魂のことを「soul」、スペイン語で「alma」、ドイツ語で「seele」、フランス語で「ame」、オランダ語で「ziel」、デンマーク語で「sjæl」、そして中国語では「魂魄」と、それぞれの言語で表現されています。

魂について『広辞苑 第5版』(岩波書店)をみると、「動物の肉体に宿っている心のはたらきをつかさどると考えられるもの」「古来多くの肉体を離れても存在するとした。霊魂。精霊。たま。」とあります。

“魂”は有機生命体に存在します。人間の魂は胎児期に頭頂部より視床下部に入魂し、存在します。生命体が死滅した時点で体外へと離脱します。純粋な魂は早々に天国へ昇天しますが、傷ついた魂は霊体となって人間界にさまよい続けています。場合によっては人間に憑依したり侵入することもあるのです。

(つづく)


癒しの光っちゃん 川上光正 記




死後の世界は日本にもありますよ! 

今、アメリカの脳神経外科医であるエベン・アレグザンダー氏が自身の臨死体験・死後の世界を書いた『プルーフ・オブ・ヘブン』がアメリカで大ベストセラーとなり、日本でも人気を博しています。実は死後の世界の話は日本でも古くから存在していました。
日本民俗学の父、柳田國男氏がまとめた『遠野物語』は80年前、明治43年に出版されました。
この著書に書かれている「魂の行方」には、明治29年の大津波で死んだ妻の魂と再会した場面があります。
漫画が好きな方は水木しげるの『遠野物語』を読むと描写がおもしろいです。

遠野物語


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