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生命力あふれた種子の活力 

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実葉根菜食にかかせないのが種実類です。ゴマ、らっかせい、アーモンド、くるみ、ぎんなん、くり、松の実、カシューナッツ、ピスタチオ、ひまわりの種などたくさんあるが、種子も大事な栄養源です。
例えば、くるみは栄養価の高い食品として知られ、かつては貴族が美容食として食べていたもの。成分も脂肪やタンパク質、ミネラルなどを豊富に含んでいます。ゴマも脂肪やタンパク質のほか、カルシウムやビタミンEが豊富で理想的な食べ物のひとつです。
考えてみれば、種子は良質の植物性脂肪が多く、ミネラルも豊富。それに種子には生命の根源であるバイタルアクション(生きる力)が漲っています。
それに関して、インドの古代聖典『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』には、次のような記述があります。

一、
[父がいった] 「そこから榕樹(バニヤン)の実を持ってきなさい」と。
[子がいった]「父上。ここにあります」と。
[父がいった]「それを割れ」と。
[子がいった]「父上。割りました」と。
[父がいった]「そのなかにおまえはなにが見えるか?」と。
[子がいった]「父上。ここにきわめて微細な粒のような[種子]があります」と。
[父がいった]「では、そちらの種子のうちひとつを割れ」と。
[子がいった]「父上。割りました」と。
[父がいった]「そのなかにおまえはなにが見えるか?」と。
[子がいった]「父上。なにも見えません」と。

二、
そこで[父が]かれにいった、「愛児よ。じつはおまえは微細なるものを知覚することができないが、この微細な粒のなかからこのような大きな榕樹(バニヤン)が現われて、立っているのだ。愛児よ。この事実を信ぜよ。」
―――とあります。



つづく



癒しの光っちゃん 川上光正 記



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野菜がからだの健康を保つ 

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野菜にガンの予防効果があることは、最新栄養学ではすでに常識になっていますし、野菜に多く含まれるカリウムに降圧作用があることも確かめられており、高血圧の予防にもなります。
とくに青野菜に多く含まれる葉緑素は、赤い血液を作るのに欠かせないものです。葉緑素は人の血液のヘモグロビンと分子構造式がよく似ており、葉緑素を摂取すると人のからだの中でヘモグロビンに変わります。そのためサラサラとした血を作るには青い野菜を食べなければならないのです。このことからも人間は本来菜食動物であることがわかります。
草をむしって食べることができない肉食動物のライオンも、シマウマを襲ったあと真っ先に食べるのは胃や腸だといいます。これは胃腸に残っている青い草を狙っているわけで、肉食動物も草食動物を介して青い草を食べているといえます。
野菜の効用はそればかりではありません。第六の栄養素・食物繊維も注目されています。食物繊維は消化されませんが、便の出をよくしてくれるのです。便秘で悩む女性には朗報ですが、便秘しないということは体内の老廃物がスムーズに排出されるということだから、コレステロールや発ガン物質なども体内にたまりにくくなる。当然、ガンや動脈硬化など成人病の予防にもなるのです。
また、食物繊維は腸の中のいるビフィズス菌や乳酸菌といった善玉菌のすみかにもなり、腸内細胞の働きを活発にしてからだの調子を教えてくれます。さらに、野菜の80~90%は水分と繊維という低カロリーのため、おおなかいっぱいに食べても大丈夫なダイエット食です。



つづく



癒しの光っちゃん 川上光正 記



植物のプラーナをまるごと摂る 

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現代の栄養学は、食物の価値をタンパク質・脂肪・糖質(炭水化物)・ビタミン・ミネラルなどの含有によって計りますが、ヨガではこうした栄養的価値の他に食物がもつプラーナも重要視しています。プラーナとはサンスクリット語で息(呼吸)、生気、生命などを意味する哲学用語ですが、ここでは動植物など生物が本来もっている生命エネルギーであると理解することもできます。実葉根菜食はこのプラーナが出発点になっているのです。
つまり、実葉根菜食は植物がもつ、このプラーナをまるごと吸収しようという食事でもあるからです。
というのも、動物より植物のほうがずっと強いエネルギーに満ちているのです。キルリアン写真は生物から出る放電を写し出しますが、死の直後、動物と植物を撮り比べたとき、動物の場合は何も写っていませんが、植物の場合はしばらく光が取り巻いてます。木の葉の一部を切り取って写しても、元の木の葉の形に光が取り巻いているといいます。それだけ植物は不思議なエネルギーに満ちているのです。

それでなくても、植物は昔から人間にとってクスリの役割を果たしてきました。今日、日常的な野菜であるニラ、ダイコン、カブ、カラシナ、ニンニクといった野菜もかつては薬用植物として育てられてきたものです。野菜の多くは薬草として用いられ、その中から味のよいもの、クセのないものが選ばれ栽培されてきたのです。
まさに野菜は食べるクスリといっても過言ではありません。

つづく

癒しの光っちゃん 川上光正 記



ベジタリアン ライフ 

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もともと〝ベジタリアン″の語源は、ラテン語の「生命にあふれた、生き生きとした、健康な」という言葉からきているとか。ただ単に肉食をしないといったことではなく、もっと深く生き方の問題と関わっているのです。
例えば、ガンジーはその『自伝』の中で、
「それが正しいか過っているかは知らぬが、人間は肉や卵やその類のものを食べてはならないということは、私の宗教的確信の一部である。我々自身が生命を保つための手段であるといっても、それにも一種の限界があるべきである。命ともののためであっても、ある一種のことはしてはならない」と述べています。


ガンジー自身は「無抵抗主義」の思想を掲げていましたが、食事についても殺されるのをいやがるものは絶対に食べないという信念で、主に野菜と果物と、牛乳を食していたといいます。もっとも乳牛がひどい扱いを受けているのを知って、一時期牛乳さえも飲まなかったことがあるのです。このようにただ単に、好き嫌いで肉食をしないのではなく、人間だけでなく、動植物も自然環境も、社会も地球もすべて健康であることを願って、そのために肉食は避けたほうがいいと考え、実行しているのがベジタリアンなのです。
肉食をしない菜食中心であっても、とてもおいしく栄養的にも十分なメニューが可能です。むしろ肉の食べすぎが健康を害していることが、最近の栄養学や医学、生物学、人類学など、さまざまな分野の研究によって明らかになっています。


近年、よく耳にする「鳥インフルエンザ」や、食中毒を引き起こす微生物「ノロウイルス」、また食物アレルギーの増加も、肉食を戒める一つの警鐘のように思えてなりません。その原因の是非や経緯はともかく、肉食が原因のガンや糖尿病、アトピーなどを防ぐためにも、食生活のあり方を見直したいものです。

つづく

癒しの光っちゃん 川上光正 記



ヨガ実葉根菜食 

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▲『ヨガ葉根菜食メニュー』 川上光正

ヨガ実葉根菜食とは主に植物の実・葉・根・茎(菜)・花を食材とした料理です。この他、昆布やワカメといった海草類や果物、豆乳、ハチミツなどを使い、肉や魚、卵は原則として使いません。つまり、肉食をしない、ベジタリアンの食事といえます。
ベジタリアンという言葉を日本語に訳すと菜食主義ですが、どうもこの言葉には宗教臭さがあったり、菜っ葉ばかりを食べている人といった印象を与えるようで、真実の姿を表していません。そのため菜食主義者というと肉体的にも弱々しく、受動的でおとなしい人であるという誤解を与えています。
これは明らかに間違いです。むしろ活動的で偉大な業績を残した人ほど、菜食主義者の場合が多いです。有名な思想家や宗教家の多くが菜食主義者という事実がそれを証明しています。たとえば、プラトン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ワーグナー、トルストイ、ニーチェ、シュバイツァー、ニュートン、アインシュタイン、ガンジーなど名前をあげれば枚挙にいとまがないです。



つづく


癒しの光っちゃん 川上光正 記



クンダリニーの覚醒 

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アートマンとブラフマンの合一・融合については、「このアートマンは聖教によっても得られない。知慧によっても、また博学によっても得られない。アートマンに選ばれた人のみ、それを得る。このアートマンは、かれにこそ、自己の身体(本体)を示現する」とあり、魂(アートマン)の輪転の中で魂の中に存在する始源の梵(ブラフマン)に選ばれた人のことを示しているようだ。


いずれにしても、ヨガを実修する意義は、自己の絶対的、普遍的価値の確立にあり、それは自己の意識改革が原点にあり、〝愛と平和と秩序″を具現することにもつながる。

そのための第一歩が、ハタヨガによるアーサナの実修である。



ハタヨガは主にアーサナ(座法)やプラーナーヤーマ(呼吸気法)によって身体を健全にするもので、心にある煩脳を弱める働きもあり、修法だけでも八四の基礎的アーサナがある。からだを自由に操り、コントロールして集中を高めていくため、自然にからだも柔軟になり、心も落ち着いてくる。同じことを毎日意識的に繰り返すハタヨガの実修は、叙々に人の意識をも覚醒させるエネルギーを湧きださせる。

やがてその意識が消え、深い静寂の瞑想に達したときにラージャヨガを理解し、究極の段階へと進むと、クンダリニーが覚醒されるのである。


ヨガ修法の本質は「クンダリニーヨガによって自己の中に存在する魂(アートマン)と梵(ブラフマン)との出会いを果たし、宇宙意識領域にある至純意識から梵としての宇宙意識・宇宙真理へと導く行法である」といえる。


インド哲学思想の中には「宇宙は無限の巨大な年数を経て、生滅の輪転を繰り返す」との宇宙観があるが、人間をはじめ、すべての万物は微細な物質と化して流転し再生する運命にあるのではないだろうか。


人間の「意識」も、誕生から死滅に至るまでの間に、身体とともに発展し変容しながら消滅するが、魂に刻まれた強い意識は永遠の輪転と再生を果たすのである。




癒しの光っちゃん 川上光正 記



ヨガの本質を考える 

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私が20年前に出版した『美しい意識の創造』より
エッセイを紹介します



ヨガとはいったい何か――。
この問いに明確な答えを出すのは容易なことではない。ハタヨガやラージャヨガだけの体験者にはまず不可能だろう。


なぜなら、ヨガとは何かという問いに的確に答えようとすれば、ヨガの本質に迫り、それを直視する必要がある。ヨガの究極の目標に達するには、アートマン(純粋精神=魂)とブラフマン(宇宙真理=梵)の普遍的な結合・融合そして梵魂一如が要求されるからである。


しかし、私は『リグ・ヴェーダ』や『ウパニシャッド』、『ヨーガ・スートラ』などインド古代聖典や奥義書を研究し、さらに四〇余年にわたるクンダリニーヨガの実践によって、それなりにヨガの意義や本質が理解できたと思っている。


ひと言でいえば、ヨガの意義とは自己の意識を変えることであり、その本質は自己の絶対的、普遍的価値の確立にある。『ヨーガ・スートラ』によると、本来、ヨガは「心のはたらきを止滅させること」「心の作用を抑制すること」といわれ、外界から感官を通して入ってくる情報や自己の意識を自然に制御、抑制することにある。



『ウパニシャッド』には、哲人や聖人がヨガの実修をじていたことがすでに記されており、ヨガに関する文章も、『タイッティリーヤ・ウパニシャッド』に「精神統一は認識する者の身体である」とはじめて登場し、『カータカ・ウパニシャッド』『シヴェータシヴァタラ・ウパニシャッド』『マイトリ・ウパニシャッド』など第二期の古代ウパニシャッドにもヨガのことが記されている。「ヨガは突然実現されるものではない。そのためには、なすべきこと、なすべからざることとはっきり区別して認識し、理解力をもち、感官を制御しなければならない」と記されている。


さらに、『マイトリ・ウパニシャッド』には、呼吸の制御、感覚の制御、瞑想、心の統一、思考、三昧というヨガの実修法六支部が説かれている。その中に聖音「ァオーム」のことが記され、これを声としてブラフマンとしてそれを越えて最高ブラフマンに到達せよと説いている。そしてアーサナ(座法)に関しても新しい規定が述べられている。


また、ハタヨガの説明があり、チャクラの脈管のことも説かれている。これは聖音「ァオーム」を唱えながら、アートマン(魂)とブラフマン(梵)が結合することを指している。ヨガの究極はやはり自己の意識を変え、宇宙意識・宇宙真理へと進んでいかなければならないのだが、その途中に、アートマン(魂)とブラフマン(梵)の結合が不可欠なのである。



つづく


癒しの光っちゃん 川上光正 記




生命とはプラーナ 

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同じ時間の長さでも、そのときの状況によって同じではないことを、私たちは経験的に知っている。楽しいとき、時間はアッという間に過ぎ去っていく。その反面、苦しいとき耐えているときの時計の針の進むのがなんと遅いことか。それはだれしも体験していることであろう。


無我夢中でスポーツや芸術活動に打ち込んでいるときや、創造的なことを考えているときは時間の経過などまったく感じなくなる。それは瞑想時の状態に似ていなくもない。目を閉じて静かに瞑想していると、時の流れや経過は感じにくくなり、空間的な感覚さえも薄れてくる。その感じ方によって、また生命活動の状態によって、時間はさまざまに変化するものである。

私たちが時間を測定できるのは、意識が外界を捉えたときであり、それは空間を意味している。時は空間があるところに存在する感じも受ける。


古代ウパニシャッドには、「それはじつに、このアートマンか虚空が生起した」「虚空から風(空気)が、風から火が、火から水が、水から地が生起した」と記されている。
虚空とは空間である。


さらに、
「時間に二つの形がある。時間と非時間である。すなわち太陽よりも以前に存在していたものは非時間である。それは部分を持っていない。しかし太陽とともにはじまるものは時間である。それは部分を持っている(二分割される)ものである」と。


ウパニシャッドの中にある<時間>は、太陽の誕生後に認識された概念であろう。
それは同時に、人間という知的生命体の誕生によって、という意味にもとれよう。さすれば<非時間>とはなんなのか。
私自身の至純な意識に、時と時間について問うと、
「時は不動、時間は変動。命は空を泳ぐもの。時は悠々であり、時間は刻々である。命は源泉であり、命は無限の砂漠であり、命は空に帰るものである」
とのサイレントボイスが聞こえてきた。


本質的に<時>とは、<非時間>であり、不動・不変なのかもしれない。ただ外界の事物や事変が変化、変容し、消滅し、再生をくり返すだけかもしれない。そして、<時>は虚空に魂として永遠に存在し生きているのであろう。

<時間>とは私たちが意識として記憶し、認識する現象であり、視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚という五感による感覚的認識と考えることもできよう。


ヨガの教義には「生命とはプラーナ」とある。
プラーナとは息を吸って吐くまでの時間であり、長さであり、胸郭や肺胞の膨張と収縮の運動であり、心臓の収縮と拡張であり、さらに考えれば細胞の分割と増殖、消滅でもあろう。
プラーナは時であり、生命の発動である。生命が活動してこそ、<時間>が生まれ、刻々と動きだすのであり、生命の営みのないところに<時間>も存在しないのではなかろうか。
まさに、タイム・イズ・ライフ、時は生命である。


癒しの光っちゃん 川上光正 記



時は生命なり―タイム・イズ・ライフ 

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私が20年前に出版した『美しい意識の創造』より
エッセイを紹介します



旭日を浴びて朝を迎え、真紅に染まった夕暮れを楽しみ、満天の星を仰ぎ見るころ、一日は終わりを告げる。満月が欠け三日月となり、闇夜を経て、再び満月を迎えると約1月を経る。

昼夜の交代によって一日があり、月の満ち欠けの周期が連なって春・夏・秋・冬という季節が到来する。めぐりくる季節の移り変わり。それは地球と月の自転と公転によってなされている。

空の色、雲の動き、風の流れ、日の光の温かさ、そうした自然の変化を記憶することで、人は<時>の流れを感じとり、<時間>を認識しようとした。そして、太古メソポタミアの人は、こうした目に見えない<時間>というものを、太陽の運行を観察することでその軌跡から<日>や<月>といった概念を確立した。目には見えない<時間>を、暦や時刻として目に見える形に表そうとしたのである。


過去から現在、現在から未来へ、刻々と刻まれていく時間――。
もし、それが<時>の流れだとすれば、過ぎ去った<時>はもう帰ってこないのか!過ぎ去り、過去へ過去へとただ流れてゆくだけなのか!
そして、いまの<時>を感じ、来るべき<時>を迎える!
はたして<時>とは何なのか!


自然環境の変化は、時間の存在を証明しているのだろうか!
この世に誕生してから、人はだれしも死を迎える。その一生の経過こそが、時間の経過を証明しているといえるのか!
はたして<時>の流れは同じなのだろうか!


自然の変化を視覚で感じるとき、聴覚で感じるとき、嗅覚で感じるとき、皮膚の触覚で感じるとき、さらにその一部分か、すべての面かで感じたときとでは、時間の認識の仕方は大きく異なる。



つづく


癒しの光っちゃん 川上光正 記



詩歌五編 

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私が20年前に出版した『美しい意識の創造』より
エッセイを紹介します





寒さが肌をさす新春の朝
ストレリチアの花を
暖かく包むかのように
初日が降りそそぐ

自然の中で
全ての生き物が目覚め
精一杯
その生命を
ふくらまそうとしている


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美しい自然の
ふところから
遥なる山々に
光がこだまする

遠い遠い太古から
雄大な姿を保ち
夢とロマンを伝えている
生きとし生けるものへの
おくりものとして



湖の岸辺に
落日を拝し
黄昏ゆく
時の流れを見る
染まりくる夕空に
歓喜する鳥の群れ
小舟をあやつる人も
時の流れを知る
そして自然は
感動の時を告げる



季節がめぐり
さわやかな風が舞う
暖かい日射しの中に
朝露がこぼれ
花芽が萌える

九重の峰々に
人と自然が育む
ミヤマキリシマ
華やかに夏を告げて
紅色にほころぶ



寂寥とした聚落
晩秋をつげる渓谷
囁くせせらぎに
彩りをます樹葉
静かに時を待つ

紅葉が満を期し
山麓 山稜を駆ける
時雨が寒林をはこび
藁葺の母屋に
落葉が影を落とす



癒しの光っちゃん 川上光正 記


川上光正オフィシャルサイト
http://kawakami-yoga.com/

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