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高次な目標、大きな志を持つ 

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 三十八年前、私は初めてヨガを出会った。
 それ以前に行なっていたボディビル・ウエイト・トレーニングの雑誌にヨガや瞑想について書かれていたのを読んだのがきっかけである。
 最初のうちは何もかも手探りであった。座法、呼吸法、瞑想法など、すべて外国雑誌に掲載されていた記事を訳したりしながらその実修法を、一つ一つ忍耐強く身につけていた。
 私はヨガの魅力にとりつかれ、ポーズだけでなくその教義や哲学の本質を理解したいと思った。クンダリニーヨガと瞑想の果てにやってくるというアートマン(魂=純粋精神)とブラフマン(梵=宇宙真理)の合一・融合、すなわち梵魂一如の境地、それを何としても実現したいとも考えた。そしてヨガの本質をなんとしても極めたい。それを人生の目的と決め、インドに再三渡り修行に励んでいた。
 当時の私には、高すぎる目標、大きすぎる志であったかもしれない。しかし、今ではその目標である梵魂一如の境地を感じとることができた。つねに、「まだまだだ。この程度のことで満足するな。最終目標までの道のりは長い」と自分を高次な目標、大きな志に向けて鼓舞してきたからである。
 札幌農学校で内村鑑三、新渡戸稲造といった偉大な教育者を育てたクラーク博士の、「少年よ、大志を抱け」は、あまりに有名な言葉だが、人生を生き抜くうえで志を立て、目標を持つことは極めて大事なことだ。それも、若いうちに高次な目標を設定することを私はすすめる。
 高すぎる目標、大きすぎる志では実現できないのではないか――そう考えるのはもっともだが、しかし実は、目標に達するか志が実現できるかは第二義的な問題にすぎない。果たせなくてもよいのである。
 肝心なことは、結果より経過である。クラーク博士の教え子たちが政治家や財界人でなく、一種の啓蒙家、人格者になったことに注目してもらいたい。つまり、目標や志は、それを果たそうと自覚し意識するプロセスが大切で、その人の“人格”“人間性”を磨くのである。それらが叶えられれば、実は、最初の目標が達成されなくとも、その人の人生は成功だったのである。
 大切なのは目標を達成することでなく、それに到達しようと力を尽くす過程にある。そのためにも、志は大きいほうがいい。
 「棒ほど願って針ほど叶う」という諺がある。目標は高くかかげてこそ、その目標に近づくことができる。最初から低い目標を設定したのでは、たとえ達成したとしても小さなものしか得られない。
 経営の目標となるべく次元を高く設定したほうがいい。
 私が、これからの企業は地球環境のことも視野に入れるべきだ、リーダーは精神哲学をもつべきだ、と述べると、「主旨はわかりますが、理想と現実の開きがあるのでは・・」とかたづける人もいる。正しいが、目的としては現実的ではないというわけだろう。
 しかし、それは違う。もっと儲けたい、名誉を手に入れたいといった欲望はなるほど現実的で人を動かしやすい。だが反面、現実的な欲求に人は必ずある種の後ろめたさを覚えるものである。その、どこか後ろ暗い感情が実は、物事を達成しようとする情熱やパワーを減少させてしまうのだ。
 人間はよくも悪くも、理想論を必要とする動物である。多少、建前論であっても、誰が聞いても恥ずかしくない高次な目標を堂々と公言できれば、そのために迷いなくいつしか力を発揮していける。つまり、高次なところに経営目標をおいたほうがよいのである。
 リーダーが大きな志を持つことが会社にとって何か弊害になるだろうか。
答は否である。むしろ好影響が多い。リーダーがつねに高次な目標に向けて己を研磨していれば、その姿勢は、それを見ている部下たちにもかならず伝播していく。それは、部下たちを引きつける吸引力を持つ。
 その結果、企業も組織も人も、その「格」が磨かれていくのである。

(拙著:『リーダーの精神哲学』より)

癒しの光っちゃん 川上光正 記


川上光正オフィシャルサイト
http://kawakami-yoga.com/



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精神哲学の提唱 

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私自身、インド最古の聖典・奥義書である『ウパニシャッド』を座右の書とし、実践している。
 『ウパニシャッド』とは、紀元前八世紀にさかのぼる古代インドで著された哲学書の総称である。最初期の『ウパニシャッド』は仏陀が生まれる数百年前に成立したと伝えられている。『ウパニシャッド』の“ウパ”とは「近く」の意であり、“ニシャッド”とは「坐る」という意で、弟子が師匠の近くに坐って、師から弟子へ口伝されたことを表すとされる。そしてもうひとつ『ウパニシャッド』には「奥義」「秘儀」「秘密の教え」という意味もある。
 『ウパニシャッド』はその名称通り、主に対話形式で師から弟子に、バラモンからマハラジャに秘密の奥義を伝授するという対話形式をとっている。その対話によるテーマは、宇宙の根本原理や輪転再生、解脱、プラーナ、アートマンとブラフマン、絶対者など多岐にわたり、その内容は輝かしいインド精神文化の源泉として不滅の価値をもっている。
 インド文化の影響を受けたとされる文学者、哲学者、芸術家の名を挙げてみると、ゲーテ、ヘルダー、ショーペンハウアー、ワーグナー、ニーチェ、マックス・ミューラー、カイゼルリンク、ヘルマン・ヘッセなどがすぐに思い浮かぶ。なかでもショーペンハウアーはウパニシャッド哲学の影響を強く受け、『ウパニシャッド』のラテン語訳『ウプネカット』を読んでいたく感動し、「地上にありうる最も有益な書」と絶賛したことはあまりに有名である。
 彼は、『この一行一行がじつになんとかっこたる、明確な、徹頭徹尾調和のとれた意義にみちみちていることだろう。各ページから、深い、根源的な、崇高な思想がわれわれに向かってくるが、全体のうえに高い神聖なまじめさが漂っている。ここにはインドの空気と、根源的な、自然に順応した生存とが息吹いている。ここでは、精神が、つとにそれに注入されたユダヤの迷信と、これをありがたがっているすべての哲学とをきれいに洗い去っている。』と述べている。私も、今その思いを同じくしている。
 『ウパニシャッド』を読めば読むほど。その深遠な内容に感動するのである。しかし、その内容が必ずしも理解しやすいかといえば決してそうでもない。
 ヨガと瞑想を通し、至福の意識状態を経験し、超越的体験をした人にしかその本質は理解しにくい。明らかに通常の言語表現を越えた何かを行間から感じとることが多いからである。
『ウパニシャッド』が説く真髄は、ブラフマン(梵=宇宙真理)とアートマン(魂=純粋精神)という一対の概念にその本質があろう。
 簡単に説明すると、ブラフマンが宇宙に存在するすべて――目に見えるもの見えないもの、顕在的なもの潜在的なもの――に及んでいると考えており、それが個人の内に反映したものがアートマンである。人生の究極の目的は、このブラフマンとアートマンの合一・融合であり、このことをリアライズすることが人間完成を目指す悟りへの道であり、この悟りに至るまでの過程をヨガと言っている。ヨガという言葉は、英語のヨーク(くびき)と同一語源でアートマンとブラフマンの合一・融合を意味している。
 ハタヨガによるアーサナを実践し、自らの身体を鍛錬すると不思議と意識や考え方に変化が現れる。それは観念ではなく実感である。自己を見つめる楽しさを味わい、自己を見失うイライラや他人への嫉妬、憎しみが消えていく。
 精神的なラージャヨガでは対象瞑想から、深い静寂の有想三昧に入ると心の安穏が得られる。さらにクンダリニーヨガ、調息瞑想の実践によって無想三昧へと意識が深化し、自己の中でブラフマンとアートマンの合一・融合を果たすことができる。それは宇宙意識領域にある至純意識から神性意識、至梵意識、そして宇宙真理を体感し認識することでもある。
 私がここで言う、自己変革とは、意識の創造的深化をさしている。

(拙著:『リーダーの精神哲学』より)

癒しの光っちゃん 川上光正 記



川上光正オフィシャルサイト
http://kawakami-yoga.com/

リーダーに求められる精神哲学 



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リーダーの資質はと問われれば、いかようにも答が出てこよう。
 統率力、洞察力、視察力、直観力、折衝力、主知力、先見性、公平無私、責任感と使命感、率先垂範、大局観、明朗闊達、豊かな知識と見識、徳望と信用、質実さ、合理性と精神性、公益性、謙虚さ、慈善と博愛心、自身と勇気、気力と体力そして健康と、まさにきりがない。
 書店に行けば、リーダーや経営者のための啓蒙書や経営・マーケティング論の専門書は山のように積まれている。そのどの本をとっても時代の先端を行く経営理論や時代を切り拓くマーケティング理論が展開されているに違いない。本を読み勉強することは大切だし、リーダーこそ努力し汗をかかなければならない。それはわかる。
 だが、ここで言いたいことは、自分自身を見つめ直し、自己の存在を自覚することである。時代を読み、動向を知ることは大切だが、まず私は「心を減し自己の内面を見つめてみては」と言いたい。そして「己の魂の存在や因果律・カルマを知らなくてはならない」と言いたい。
 変動する経営状況に右往左往するのではなく、心を定め、大船に乗ったつもりで舵をとっていただきたい。波瀾もまた楽し――の境涯になっていただきたい。それがリーダーに求められている大切な資質であると思う。
 幸運のときもあれば、不運のときもある。それが人生だが、その不運のときでさえ心が定まっていれば、なんの迷いもない。恐いのは周りにふりまわされ、不安や恐れ、不信、疑心、憎しみ、悲しみの意識に支配されてしまうことである。
 それこそが不運へと向かう悪意の感情である。
 その悪意の感情である混濁意識は自己の魂を傷つけ、悪因苦果の因果律となる。これは自明のことだ。そうならないためにも、常に前向きに楽しく、明るくしたい。心を強くもって真の愛と正義を実践して欲しい。人を導くリーダーや経営者はなおさら『ウパニシャッド』にある精神哲学とヨガ・瞑想の実修に励んでいただきたい。

(拙著:『リーダーの精神哲学』より)

癒しの光っちゃん 川上光正 記


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愛し、愛する心・気持ちは癒しの原点 

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 人は愛し愛されていることで安心し、落ちついて生活することができるのです。生まれた赤ちゃんは、誰よりも母親へ愛を求めて感覚を研ぎ澄ましています。お乳の匂いや味などを判断する能力も既に持っているのです。視力が弱くても母親の行動を匂いで追っています。母胎内では羊水を飲み込んで胃の消化力を高めています。へその緒を持ち上げたり、脚を蹴って筋力トレーニングも始めています。赤ちゃんはお母さんから愛されなければ生きていけません。妊娠したことを後悔したり、中絶を考えていると、赤ちゃんは悲しみ、生まれてくる勇気や自信を失くします。
「この子はいらない。中絶して主人と別れよう」と思い続けていると、胎児・赤ちゃんは深く傷つき、場合によっては自殺も考えます。母親の決断でやっと生まれてきた赤ちゃんはいつも「大丈夫かな、お母さんはいつか私を捨てるかも」「ほんとうに愛してくれるのかな」など常に母親や父親の愛の言葉を求めています。胎児期に母親の愛情が足りなかった赤ちゃんは、出生後にひきつけたり、喘息を起こしたり、よくお乳を吐いたりすることもあります。赤ちゃんはいつも母親の優しい愛の言葉や笑顔を待っているのです。言葉は喋れなくても、伝わってくる愛の意識を感じとっているのです。優しい言葉、軽いスキンシップ・ふれあいによって、赤ちゃんは安心しほっとするのです。
 赤ちゃんばかりでなく、成人の私達も同じです。母親と子供、そして夫婦や恋人が手をつないで歩いている光景をよく見かけます。ふれあいを通して愛情を深く感じると不安や緊張感がとれ、自己治癒力が高まって自然に癒される。多くの人が、人間関係の確執や軋轢でのストレスによって体調を崩しています。嫌な人と仕事を続けていると胃潰瘍になったり、頭痛がする、腰が痛くなるなどの症状が出ることもあります。昔から“病は気から”といわれ、気・こころが病むと病気になるといわれています。
 近年、“病は気から”が医学的に証明されてきています。米国の医学界では精神神経免疫学(PNI)の新分野が注目されています。「頭で考えたことが体に影響し体を動かせば脳に何かが伝わる」これは脳内の情報伝達物質の複雑な働きを分析し、心と神経系と免疫系の相互関係を研究する分野です。愛することも愛されることもなく、心も満たされずにいると、心理的ストレスが強くなり免疫力が低下し病気になる場合があります。愛情ある人間関係はストレスを軽くし、治癒力を高めて病気から解放されることは間違いないでしょう。嫌な主人と別れて元気になった婦人。好きな恋人からふられて心が病んだ女性。愛する妻に捨てられて認知症になったお父さん。誰でも皆、愛情を求めているのです。愛すること、愛されることは癒しの原点、「愛は創造の源」です。


癒しの光っちゃん 川上光正 記

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