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廉恥の心を忘れず雅望をめざす 

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 ずいぶん前に話題になったことである。
 某有名製紙会社のトップは毎年のように高額納税者番付で上位を占める資産家。以前、まだバブル経済華やかなりし頃に、世界的に有名な名画を個人的に買い入れて、海外でもそのリッチマンぶりが評判になった。
 しかし一方で、この人が率いる製紙会社は二期連続で経常赤字を計上して、経営再建のてこ入れが急務の状態だった。そこで、この会社はほぼ百億円という莫大な再建資金を株式の第三者割当増資によって調達することになった。ところが、この新規発行の株式を当のこの人物が引き受けることになったのである。
 自分が会社を設立して大きくした。その会社を通じて自分も潤った。ところが自分が潤ったために会社がやせた。やせた会社を救うために自分の資産をはき出した――いわば、そういうなりゆきだが、滑稽な悲劇というか笑えない喜劇といおうか、因果はめぐるといおうか、自分の欲のつけを結局、自分で払った自業自得のケースである。
 一方、ある地方の住宅建設会社の社長は経営能力もさることながら、人間的魅力に満ちた、誰もが認める人格者で私欲がない。なにせライバル会社の人たちから、「あの人の会社こそ大きくなってほしい」と願われているほど。そのせいで、この会社は順調に成長しているという。
 会社を大きくしたいという気持ちを「公欲」と名付けるとすれば、前者は私欲を追及するあまり公欲をおざなりにし、後者は公欲に徹して私欲が消えた例といえる。
 業種とか経営規模は別にして、この二人に経営者の“人間性”というか姿勢の差は、はなはだ大きいといわねばならない。経営者である以前の、人間としての「品格」の差だろう。
P・F・ドラッカーは経営者が備えているべき人間性について、
「経営者がなさねばならない仕事は学ぶことである。しかし、経営者が学び得ないが、どうしても身につけていなければならない資質が一つある。それは天才的な才能ではなくて、実はその人の品性なのである」と、経営者に必要な人間的資質として品格をあげている。
 品格は何から醸し出されるか?無私と廉恥の心であろう。廉恥とは心が清らかで恥を知る心、利己的で反社会的な生き方を恥ずかしく思い、おのずとそれを戒める心である。廉恥の心を失えば、公欲よりも私欲を優先させて平然としていられる破廉恥漢に堕してしまう。
 しかし、現代の日本、政治家から財界人まで、いかに恥を知らない、したがって品性のかけらもない人々が多いことか。人間だから時にはあやまちを犯すこともある。だが、あやまちを犯して、ああ、自分は悪いことをした、強く戒めなければと自省する心がきわめて希薄である。そこに、日本の社会の病巣の深さ以上に個人が持っている因果律としての業・カルマがあるからではないか。
 長い間、政財界の要因の精神的バックボーンとなってきた故・安岡正篤氏がこう言っている。
「経営者は欲望の満ちる社会を生き抜きながら、とどのつまりは雅望に生きることです」
 雅望とは雅欲、つまり、私欲や公欲のさらに上に位置する高度な欲望のことだろう。私や会社という枠を越え、社会や地球への還元、貢献へと向かう正しい「欲望」のことだ。
 その雅望を志向したときに初めて人に品格が備わるのである。


(拙著:『リーダーの精神哲学』1997年発刊より)

癒しの光っちゃん 川上光正 記


川上光正オフィシャルサイト
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「私益」を「公益」に置き換える 

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 あれを手に入れたい、これが欲しい。人間の欲望には限界というものがない。
 しかし、欲望が成功を呼ぶケースもある。自分の望むものになりたい、なんとか物事を成就させたい、そういう願望や欲望に向かってまっしぐらに進むことが成功の要因となるからだ。強い情熱が成功への王道となるわけだ。
一方、欲望というものは、政財界のスキャンダルに明らかなように、結局は道を誤らせその人の身を滅ぼす。情熱は成功を呼び、欲望は失敗に通じる。いずれも「~したい」という願望から発しながら、この二つを分かつものは何か。
 そこに、己を利する心があるかないか。その願望が自分の利益を図る心、自分の情実を優先する意図から発していないか、それが欲望と情熱の違いであり、失敗と成功を分ける鍵となる。
 己の利益を優先させる欲望も人を動かす要因となるが、目的のためには手段を選ばずで世の中の常識や道理に無感覚になり、敢えてそれに反してまでも、強引に成功への近道を歩もうとする。そのため、うわべの成功をつかむのは早いかもしれないが、その成功は長続きしない。結局は失敗に終わる。
 業者から多額の金品を受け、その金でマンションや別荘、高級車を買って自分の欲望を一旦は満たしても、やがて事が発覚して収賄罪で逮捕――欲望の行き着く果ては、大方こんなところである。
 これに対して、純粋な情熱や熱意は、一見迂遠だ。努力してもなかなか結果は出ないし成果もわずかずつ積み重ねていくしか方法がない。まだるっこしく、じれったい。だが結局は、この遠い道が成功への最も近い道であり、成功を永続させる方法でもあるのだ。
失敗は早くやってくるが、成功は極めてゆっくりしかやってこない。また、ゆっくりやってきた成功にしか本当の価値はないものなのである。
 とはいえ、「無私」であることはむずかしい。人間が完全に私利私欲を離れるということは困難なことかもしれない。
 だから、と私は考える。私益を図る心をせめて自分でなく、組織や社会に向けるべきではないか。自分のためでなく、会社や会社を支えてくれる人たちのために「利」を図ろうと考えることが大切ではないか。むろん、これだけでは不完全だが、さしあたって、私利の心を薄めるのには有効な方法であると思う。
 「公欲」に目覚めれば、「私利を小に公欲を大に」と、自らの考えが自然に変化するのである。
 つまり、私益を「公益」に置き換えることで、欲望の質を高め、慈善と博愛の精神をもつ純粋な情熱に変えていくわけだ。
 リーダーの願望が「私」を離れ、「公」へ向かうものであれば、それがいかに困難であっても部下はついてくる。しかし、リーダーの掲げる目標・目的がいかに高尚であってもそこに少しでも私欲が混じり、自分だけの利益を図ろうとする姿勢が垣間見れれば、部下は従う意欲を失う。たとえ、高額な報酬を約束しても、そのリーダーを尊敬することはできないものだ。
 『エミール』を著し、文明のあり方に疑問を呈して、“自然に還れ”と主張したフランスの作家であり思想家であるルソーは、「十才のときは菓子に、二十才のときは恋人に、三十才のときは快楽に、四十才のときは野心に、五十才のときは貪欲に動かされる。人間はいくつになったら、叡智のみを追うようになるのであろう」と述べている。
 悲しいかな、人間の欲望には果てがない。だからこそリーダーは、少しでも「私利」「私欲」を捨て、その分「公利」「公欲」をもつよう努めなくてはならない存在なのである。

(拙著:『リーダーの精神哲学』1997年発刊より)

癒しの光っちゃん 川上光正 記


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余財は人の心と目をくもらせる 

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 一九八六年二月、当時のマルコス大統領が追放されたフィリピンの革命のときに、マラカニアン宮殿の内部がテレビカメラによって克明に映し出されたことがあった。
 イメルダ夫人の衣装や靴を保管する専用の部屋まであり、権力者の住居はそれは広大で豪華、贅を尽くしたものであった。もちろん、寝室も豪華で、ベッドは天蓋つき、ビロードのカーテンのようなものがめぐらしてあったと記憶する。
 だが、その状況を見ていて私は思った。どんなに栄耀栄華を誇る権力者といえど、ベッドの大きさはせいぜい畳二畳ほどにすぎない。位人臣をきわめた人間であっても、横になって寝るスペースは三十坪も五十坪も必要とするわけではない、たった畳一枚か二枚の空間があれば、それで事足りてしまうのである。財や贅も眠りの中までは持っていけないのである。
 また、世界の要人の葬儀の様子を見ても、その柩の大きさは一般の人の場合とあまり変わらない。偉人、要人といえど、その財や地位に見合う大きな棺桶を必要とするわけではない。これまた、死後の世界へ現世の財産を持っていけるわけではないのだ(心の財産は別である)。日本の俗言に「立って半畳、寝て一畳」というのがあるが、人間はしょせん我が身一つで生まれ、死んでいくものである。一日の終わり、あるいは一生の終わりに横たわる空間の広さは、誰しも等しく畳一畳、せいぜい二畳である。だとしたら、現世で手にした財にいったいどれほどの意味、価値があるか。
 そう悟ることは凡人にはなかなか難しいが、人の上に立つ者にとって、欲が少なく財に対して恬淡とした態度は身につけてしかるべき資質である。
「財集まらざるは恥なり、財集めてこれを己のものとするはまた恥なり」という言葉もある。
 財というものは、集めようとして集まるものではない。その人間に善の因果律と徳があれば自然に集まってくるものだ。財は末で、人間の徳性<業>こそが根本のものである。それなのに財を集めるのにあくせくして、自分の徳を汚してしまう人がなんと多いことか。
 古来、日本の葬儀では、棺桶に六文の銭を入れる習俗があった。これは三途の川の渡し賃が六文といわれたことに由来する。つまり、あの世へ持っていける財はたった六文にすぎない。そのために徳を汚してしまうことは、実に愚かなことである。
 日本の企業では、役員室や社長室はたいていビルの上階にある。ところが、これを二階の玄関上に移したある会社の社長がいる。
 上にいると、専用のエレベーターを使い、部下を自分の部屋へ呼びつけるようになる。営業部や総務部などへ下りていって、見回ることもめったになくなる。社員との接触がほとんどなくなり、人の上にいて、部下を見下ろすことに慣れ、彼らの心情や苦労がいつの間にかわからなくなってしまった。
 そこで、社長室を二階の玄関上に移した。窓からは社員の出入りが見え、彼らの騒めきも耳にできる。彼らの様子を垣間見、彼らの日頃の喜怒哀楽にふれることもできる。社員の心を掌握するには、彼らの心をまず理解できなくてはならない。階上におさまりかえっていたのでは、それはわからない――その社長はそう語っていた。
 地位は知らぬうちに人を傲慢にする。財もこれと同様。過剰な財は人の目と心をくもらせ、徳を汚し、真理から遠ざけるのである。

(拙著:『リーダーの精神哲学』1997年発刊より)

癒しの光っちゃん 川上光正 記


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所有欲を捨て、モノに執着しない 

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 子孫のために美田を残さず――とは維新の英雄・西郷隆盛の言葉だが、西郷は次のようにも言っている。
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るものなり。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」
 所有欲のない人ほど強く、また信頼できる人はいないということだが、西郷自身もこの言葉どおり、権力も地位も絶大なものでありながら、およそ身辺を飾らず、上野の銅像のように粗末な薩摩絣に兵児帯姿で一年を過ごし、死ぬまで質素な暮らしを通した。
 ヨガの教義にも、モノを所有するなかれ、モノに執着するなかれという教えがあり、無意味な我欲、所有欲を戒めている。
 モノへの執着心は必ず我欲に通じ、エゴや歪みを生み、魂を濁らせ、誤った道を歩ませるからである。
 経済界にも、引退後も地位や既得権を手放すまいと、できれば背後から「院政」を敷こうとして、「代表取締役相談役」とか「代表取締役名誉会長」などという奇怪なポストをつくり出して影響力を行史している人がいるが、これなどは「引き際を誤った」よい例だろう。モノに恬淡とし、所有欲を心の中から閉め出すこと、それが指導者や人の上に立つ者の重要な心がまえの一つである。
 私もずっと前から「解脱する時期がきたら私有財産は一切持つまい」と決め、所有欲を少しずつ捨てることを決意した。そう決意して以来、私はヨガの瞑想中にしばしば、宇宙真理(ブラフマン)と自己の魂(アートマン)の合一・融合を可能にする純粋意識が湧き出てくるのを感ずるようになった。一つの欲から離れることは、己の魂を浄化し意識を高次にすることになるのである。
 しかし、何も持たぬ人が、欲を捨てよ、と説いても、貧しい人が「お金がすべてではない」というのに似た、説得力の不足を感ずるかも知れない。
 私は三十代から四十代前半にかけて、家や土地など私有財産を所有していた。昭和五十七年の福岡県・高額所得番付表の八百番に名を連ねたこともあった。しかし、それは生きるのにかならずしも必要なものではない、魂の幸福と平穏を得るためにはむしろ障害物となる、と悟った。今ではそれを門弟に分配したり、私が理事長をしている育英財団の基金として、「公」のものにするよう努めてきた。一度、所有してみて、やはり所有欲というのは究極的には空しいものであると悟ったからである。
 「私有」のものは一つもなくその一生を終える。それが私の理想とするところである。金財のみならず、権力も権威も不要。ただ、門弟や実修生の集まる修行農場・アシラムの一角に小さな個室を貸してもらい、そこで精神哲学の研究や執筆、瞑想、読書にふけり、訪れる人たちと歓談、清談するのがささやかな希望である。
 モノというのは、実は、所有するよりも、所有したものをあえて手放すことの方がむずかしい。西郷隆盛は征韓論に敗れるや、潔く、あっさりと要職を捨てて鹿児島の野に下った。既得権を手放すのにいささかの躊躇も見せなかった。
 このような恬淡として物事に拘泥しない潔さを、現代のリーダーも見習いたいものである。

(拙著:『リーダーの精神哲学』1997年発刊より)

癒しの光っちゃん 川上光正 記


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ともに笑い、希望を語れるリーダーとなる 

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 黒沢明監督の名作『七人の侍』。お百姓を助ける七人の侍のうち、まっ先に命を落とすのは、千秋実という俳優が扮した、明るくて冗談好きで楽天的な男である。
 その死に際して、志村喬が扮する侍のリーダーがこうつぶやく。
「これから戦いが苦しくなる。苦しい時にこそ、あの男の明るさが必要だったのに・・」組織の長に必要な人間性のひとつに「明るさ」と「ユーモア」がある。どんなに苦しい局面でも、明るく笑って、希望を捨てない楽天性――それがリーダーに不可欠な条件である。
 ホンダがまだ、浜松の町工場にすぎなかったころ、故本田宗一郎氏はいつも社員に向かって「世界一のオートバイメーカーになろう」と語りかけていたという。
 社員はその夢物語に苦笑するほかなかったが、心のどこかで、「この人なら本当にそれを実現させるかもしれない。この人についていけば夢が現実になるかもしれない」と、一筋、その可能性を信じていたそうである。
 リーダーはつねに希望を抱き、明るく夢を語ること。その夢に向かってビジョンを描きプロセスを示してやること。それは、未来に向けて前向きに成功の確信に満ちており、「きっとやれる。成せば成るぞ」と陽気に公言できる。
 また、逆境のときや苦しいときに、「なぁに、苦あれば楽ありさ。俺も必死にやるから、みんなもここでがんばってくれ。明けない夜がかつてあったためしはないよ」――そう部下を慰め、励ませるリーダー。
 こういうリーダーは部下にも希望と確信を持たせ、彼らの気を鼓舞する。組織メンバーの精神的支柱となり、彼らの力を結集できるのである。部下というのは、実にリーダーの顔色をよく見ているものである。リーダーがしゅんとしていれば組織全体が意気消沈してしまうし、リーダーが弱音を吐けば、部下はああダメなのかと思う。リーダーが暗い顔をしていればみんな陰気になるし、リーダーがくしゃみをすれば全員カゼをひいてしまう。そういうものなのだ。
 だから、私はいつも門弟やスタッフに言っている。
 仕事場へ来たら、いちばんに大きな声であいさつをしなさい。人と会ったら、相手から声をかけられる前にこちらから明るい声で話しかけなさい。下腹に力を入れて声を出し、互いに励まし合って仕事を進めなさい。帰り際には「お疲れさま」は絶対口にしてはならない。
 「お疲れさま」とあいさつ代わりに毎日言っていると、それがいつの間にか仕事の失敗の言い訳にもなる。仕事をすると疲れることが当たり前になってしまう。疲れる仕事は結果的には良くない。仕事が楽しければ、疲れも少ない。成果も上々である。帰りのあいさつは「頑張ってますね、お先に失礼」と明るい声を残して退社すべきである。
 苦しい思いや悲しいことがあり、泣きたい時は、思いっきり泣いた後、笑顔をつくりなさい。苦しい時こそ楽しいことを考え、それを口にしなさい――と。
 多少の無理があっても、空元気でいいから、そのように実行する。そうしていくうちに、本当にその気になってくる。自分の中に明るく楽天的な気分がわき、それは人にも伝播していく。そのことが困難を可能にする心のエネルギーになるのだ。
 リーダーの楽天性は、組織や集団が事を成す上で実に大切な要素なのである。
 明治四三年、南極探険のプランを発案した白瀬中尉はほとんどの人から反対され、奇人扱いされたが、たった一人、「それは面白い」と賛成してくれた人がいた。
 明治のリーダーの一人、大隈重信である。しかし、大隈は確実な成算があって賛成したわけではなかった。出発間際、白瀬に向かって、
「南極は暑いから気をつけろ。南洋でさえあれほど暑いのだから、さらに南の南極の暑さはよほどのものだろうから」と大マジメに言ったとか。
 まるで笑い話だが、しかし、リーダーのこうした底抜けの楽天性は得がたい。どれほど部下を元気づけるかしれない。
 楽天的でユーモアがあり、共に笑い、共に喜び、共に希望を語り合えるリーダーが今、求められる。

(拙著:『リーダーの精神哲学』1997年発刊より)

癒しの光っちゃん 川上光正 記


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占えなかった占い師 

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以前、西日本新聞H27年1月16日(夕刊)に記載されていた記事を紹介します。

スリランカで大統領選が行われ、現職マヒンダ・ラジャパクサ氏が新顔マイトリパラ・シリセナ氏に敗れ、3選を逃した。10日付朝刊によると、シリセナ氏はラジャパクサ氏の忠実な閣僚とみられていたが突如反旗を翻した。「自分は大統領の操り人形だった。政権の腐敗に心を痛めていた」と語ったという。
 実はラジャパクサ氏は大統領の任期を2年も残していた。選挙実施は、頼りにしていた占星術師スマナダサ・アベイグナワルデナ氏のアドバイスで決めたそうだ。同国では占星術が生活に浸透。国家行事の日時を占いで選ぶことも多いらしい。英紙ガーディアン電子版に同氏のインタビューが掲載されていた。
 「今回は相手の星のパワーが勝っていた」
「もし大統領に『あなたが勝つ』と言ってなければ、彼は精神的に参っていただろう」。しかし、選挙前倒しを発表した昨年11月には有力対抗馬はいなかった。シリセナ氏が寝返ることを占えなかったことになる。「ノストラダムスでさえ間違った予言をしている」
 日本ではあり得ない話でしょうが。

癒しの光っちゃん 川上光正 記


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