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時代の“天気”を天気予報で知ろうとしない 

リーダー_時代の天気

 雨の降り具合、風の強さや向き・・・今現在の天気を知るのに天気予報はさほど必要ない。外へ出て、自分の目や肌で確かめれば、すぐにわかることである。
 しかし、世の中には天気を知るのに、天気予報でしか知ろうとしない人がいる。
 百聞は一見にしかず。サラリーマンの通勤地獄の苦しさは、テレビや新聞で「知る」ことはできても、実際に満員電車に乗ってみなければ「わかる」ことはできない。工場の労働環境は工場長から報告を受けただけでは本当のところはわからない。しかし、経営者が一度でも工場へ出向けば肌で実感できるのである。
 だが、人間、偉くなると、会社へは運転手付きの車で行って満員電車には乗らなくなる。そして、座り心地のいい社長室の椅子で報告を受けるだけで工場へは足を向けなくなってしまう。現場からしだいに離れ、今の天気を天気予報で知るようになっていくのである。
 リーダーや経営者は組織の問題や社員、構成員の喜びや不服、不満を知り、忘れないためにも、現場主義を怠ってはならない。現場での実感をおろそかにすると、人心の掌握や組織の運営が必ず甘くなるからである。
 私は人間の認識行為には二つの次元があると考えている。
 一つは「アンダスタンド」。つまり、頭で知り、理解していること。知識や机上の理解であり、体の感管で感じ納得、会得しているわけではない。いわぱ、天気予報で天気を知るクチである。
 これに対して、「リアライズ」は自分の肌や目で直接雨が降っているのを確かめ、風の向きを実感するわかり方である。実体験によって、頭でなく心や体が「わかる」、納得するのである。さらに、リアライズには「実現する」という意味があるように、リアライズの「わかる」には、実際に自分自身がその状態を体現して、まさに自分でも「できる」ということも含むのである。
 「アンダスタンド」と「リアライズ」、「知る」と「わかる」――この二つは似ているようで、まったく意味の異なることだ。むろん、上に立つ者が重視しなくてはならないのは、後者のリアライズである。
 毎日とはいわないが、週に一度、お迎えの車を辞退して、早朝、満員電車で出勤してみる。高級レストランや料亭で要人と打ち合わせかたがた飲食するだけでなく、時々は、大衆食堂や赤提灯へもふらりと入ってみる。必要な書籍を秘書に買わせるだけでなく、自分の足で書店の棚をめぐってみる。ビルの上階にある役員室から出て、営業課のフロアに顔を出してみる――。
 そうやって、現場に出向き、世の中の〝天気〟を肌でリアライズしてみないと、時代の流れや動きはつかめない。世の中の空気や人々の実感、思惑などを知ってはいても、わかることのできないリーダーは、結局は人や組織を真から把握し、引率することはできないのである。
 私はよくスーパーや市場へふらりと入り、野菜や果物などの食料、日用品などを買う。キャベツやキュウリの値段、買い物に来ている奥さんたちの〝息吹き〟、店内の雑然とした雰囲気――そうしたものを肌で感じるだけで、ずいぶん、世の中の実態や時代の流れがリアライズできる。真実は机の上や金庫の中にはない。社会の現場や道の上にさりげなく存在するのである。そのことが、天気予報で天気を知ろうとする人にはわからないのである。
(拙著:『リーダーの精神哲学』 1997年発刊 より)

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