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「タイム・イズ・ライフ」と銘記する(2) 

20160520川上光正先生ブログ

時間をせわしく過ごすことを時間を大切に使うことだとカン違いしている人が少なくない。仕事をやみくもにこなしたり、趣味に熱中したり、睡眠時間をかなり削って勉学にいそしむ。


そういうことだけが時間をムダに過ごさない方法だと思っている人は多い。とくに日本人、それも現在、社会のリーダー格になっている年配の日本人にこのタイプが多い。


 しかし、時間を全速力で過ごすことだけが時間を有効に使うことではない。ゆったり、ゆっくり、じっくりと過ごす、ゆとりの時間も人間には必要である。


 立ち止まる。深呼吸する。休息する。何もかも忘れてボンヤリする。読書や瞑想のうちに時を送る。そういう、一見、時間をムダ使いしているような緩慢とした時間もまた、時の貴重な活用法である。


 ことに人の上に立つリーダーは、忙しい日常の中で、「私」に戻る、自分一人になる孤独の時間を持つことが大切だ。己を省み、内面を見つめる貴重な時が明日への活力と叡智につながるからだ。


  「時は不動、時間は変動。時は悠々であり、時間は刻々である」――時間には、瞬間と同時に永遠であるような二面性がある。


 ヨガの教義には「生命とはプラーナ」とある。プラーナとは息を吸って吐くまでの時間であり、心臓の拡張と収縮であり、さらに考えれば細胞の分裂と増殖、消滅でもあろう。


 つまり、プラーナは時であり、生命の発動である。生命が活動してこそ、時間が生まれ、動き出す。生命の営みのないところには、時間も存在しないのである。


 時は生命、「タイム・イズ・ライフ」である。その事実を世のリーダーや経営者は銘記したい。

(拙著:『リーダーの精神哲学』 1997年発刊 より)

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「タイム・イズ・ライフ」と銘記する 

20160507川上光正先生ブログ


 「なんじの生涯を愛するか。しからば時間を愛せよ。なんじの生涯は時間から成る。時間の空費はぜいたくの絶頂である」
 印刷工から身を起こし、初代のアメリカ駐仏大使となったベンジャミン・フランクリンの言葉である。
 いわゆる「タイム・イズ・マネー」、時は金なりの考え方である。その彼が書籍業にたずさわっていたとき、ある人が本を買いにきた。


「この本はいくらかね」
「一ドルです」
「いくらか安くならないかね」
「・・・・では、一ドルニ十五セントではどうでしょう」
「冗談はよしたまえ」
「それでは、一ドル五十セントでは」
「人をからかうつもりか。時間がたつにつれて値段が高くなるとは何ごとだ」
 そう客が怒ると、フランクリンは「タイム・イズ・マネー」と答えて客を納得させたというエピソードが残っている。


 私たちは時間というものを、ゼロから積み重ねていくような概念でとらえがちだ。誕生から死へ向かって流れていく。したがって、過去の時間はとり戻せないが、まだ来ぬ未来の時間は無限のように思っている。そこから、時間の空費や浪費が生まれてくる。


 時間というものを、誕生のときに寿命という形でドカンとまとめて与えられ、あとはそれを一日一日、一年一年、「消費していくだけ」と引き算的思考でとらえたらどうなるか。時間の貴重さがおのずとわかってくるはずである。


 時間のムダ使いがいかに無益なものか。また、時間をうまく活用することがどれほど物事の能率や達成にとって重要なことか、ここで改めていうまでもないだろう。


一時も流れて止まぬ、有限の時間をうまく活用することは私たちの生活を向上させ、人生を充実させるのである。(次回へつづく)


(拙著:『リーダーの精神哲学』 1997年発刊 より)

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