FC2ブログ

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

川上流ヨガ瞑想の真髄は2 

20160831川上光正先生ブログ

 『[サナトクマーラがいった]「瞑想(dhyana)はじつに心よりもさらに優れている。大地は瞑想しているかのごとくである。虚空は瞑想しているかのごとくである。天も瞑想しているかのごとくであり、水も暝想しているかのごとくである。山々も瞑想しているかのごとくであり、神々と人間も、瞑想しているかのごとくである。それゆえに、この世において人間どものなかで偉大性を克ち得る人々は、暝想の果報の分け前にあずかっているかのごとくに見える。他方では劣った小人物は争いに耽り、悪口をいい、他人を誹謗するものであるが、他方では偉大な人々は暝想の報いの分け前にあずかっているかのごとくに見える。瞑想を念想せよ」と。』
(『チャンドーギヤ・ウパニシャッド』七・六)


 瞑想の本質は、自己の意識を深く内面に向け、自己の中に存在する純粋意識であるアートマン(魂=純粋精神)と至純意識としてのブラフマン(梵=宇宙真理)との合一・融合を目指し、創造的な精神活動を経て、自己解放、三昧そして宇宙真理へと到達することにある。


 瞑想はもともとヨガ行法の重要な体系的枠組みの一つであり、瞑想だけを切り離して考えるべきではない。瞑想はそれ自体が独立して存在するものではなく、ヨガの究極の目的であるサマーディ(三昧)に到達するための八段階に分かれている行法の中で、七段目にあたるディヤーナ(禅定)の意識状態にある。


 このディヤーナの意識状態に入るには、まず、顕在意識上に存在する諸々の煩悩としての意識を排除するため、ヤマ、ニヤマの教義や精神の哲理を認識することが不可欠である。そのためには精神の哲理とヤマ、ニヤマの教えを学び理解を深め、少しずつ実践を行なう。次にハタヨガ・アーサナを実修する。八タヨガによって、自己の身体を自由に制御することに意識を集中すると煩悩としての雑念が徐々に消えていく。(次回へつづく)

(拙著:『リーダーの精神哲学』 1997年発刊 より)

スポンサーサイト

川上流ヨガ瞑想の真髄は 

20160801川上光正先生ブログ


 一九九五年十一月、ユネスコ(国連教育科学文化機関)が設立五十周年の記念事業として世界中のあらゆる宗教、あらゆる民族を超えた世界平和を祈るための空間「瞑想の庭」と「暝想の空間」をパリのユネスコ本部に建設したことは、すでに読者諸賢はご存知だろう。


 「瞑想の空間」は日本を代表する建築家で、平成九年十一月一日付で東京大学工学部教授に就任することが内定した安藤忠男氏による設計である。直径四メートル、高さ六・三メートルの円筒形の建物で、建設費用の一億四千万円は唯一の被爆国である日本において、個人から一人一万円の寄付金が集められた。協力した人々の名前は「瞑想の空間」の横に永遠に残されるという。


 「瞑想の空間」が完成した経緯は、当時ユネスコ本部の事務局長であったフェデリコ・マイヨール氏による提案だと聞く。
 マイヨール氏は「地球上には戦争がたくさんある。あらゆる民族や宗教を超えて、地球上をどう平和にしていくかを考えることのできる空間を造りたい」と考え、「瞑想の空間」の建設に着手した。


 その動機の背景となったのは、ユネスコ憲章の冒頭にある「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」という一節がある。


 確かに戦争の歴史を振り返ると、特に我欲、権力欲の強いリーダーの心の中や魂に刻まれている混濁した意識が影響していたことは否定できない。


 次の『ウパニシャッド』の中にも、暝想を念想しない小人物は争いに心を奪われているが、瞑想する偉大なる人々は、その果報として心の中に平和の意識を築くことが可能であることを示唆したくだりがある。(次回へつづく)

(拙著:『リーダーの精神哲学』 1997年発刊 より)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。