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潜在意識を知ると自己変革が容易になる
人間は誰でも思い出の中に一つや二つの悲しい、挫折の体験や経験をもっている。それを潜在意識の中に、心の傷つき(トラウマ)として、たずさえている場合もある。
そして、幼い頃に受けた身体的、精神的ショックや抑圧はその人の心の傷つき(トラウマ)としてその人を一生苦しめることにもなる。だが、意識上ではあまり苦痛に感じない潜在意識が、自分の人生に限りなく影響していることを信じる人は少ない。仮に信じても、今さら過去の出来事に目を向けるより、現実を直視すべきだと潜在意識を認めようとしない人もいる。
しかし、自己の中に存在する潜在意識<父の死>によってそのことに気づき、心の傷つきを自ら解放した解剖学者がいる。
元北里大学の養老孟司教授である。
氏は、一九九七年二月二十二日付の朝日新聞・「おやじの背中」のエッセイの中で自分の潜在意識を次のように告白している。
『遠慮がちだった私の性格は、父親の死が強く影響していると思います。昭和十七年、結核でなくなりました。三十四歳。私は四歳でした。
臨終のとき、私は同じ部屋に寝ていました。誰かに起こされて目を覚ますと、大人たちが父親の寝ているベッドの周りに集まっていました。その間からのぞき込むと、「お父さんに、さよならを言いなさい」という声が上から降ってきました。その瞬間、父親はにこつと笑い、喀血(かっけつ)して、終わりました。
火葬場の待合室。ふすま越しに、母親と姉の泣き声が聞こえてきました。しかし、私は泣かなかった。目の前にあったお菓子を食べたい、と思いながら、自分はどうして泣けないのだ、と奇妙な罪悪感を感じていました。
母親は自宅のある神奈川県鎌倉市内で開業医をしていたので、地元では顔が広く、必然的に私の顔もよく知られていました。ところが、私は中学、高校時代、外で知り合いと会ってもあいさつができなかった。
原因について、私はずっと考えてきました。高校を卒業して、大学に進み、大学の研究室に入ってからも。あるとき、父親に「さよならを言いなさい」と言われたときに、つっかえて何も言えなかった。それが影響して、他人にも言えなくなったんだ、と気づいた。
それは私が四十歳のころだった。走る地下鉄の中で考え、そう分かった瞬間、なぜか涙が出ました。私にとって、その時に父親は本当に死んだのです。
父親の死というのは、四歳の子供にとっては理不尽なもの。「さよなら」を言わないことによって、「死」が未完の状態として残った。それがあいさつをしないという形で外部に出たんだと思う。父親は、私が四歳のときに物理的には死にましたが、私の心の中ではずっと生き続けてきた。そして、死を認めたとき、あいさつが言えるようになりました。』(次回へつづく)
(拙著:『リーダーの精神哲学』 1997年発刊 より)
- [2016/09/15 20:32]
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川上流ヨガ瞑想の真髄は3
瞑想行法としては、胡坐法及び正座法、完全座法、吉祥座法、蓮華座法のいずれかで座り、両手で印契(ムドラー)を結び、人体の中心部にある臍に意識を集中し、喉と肛門を閉じるためのバンダを行いながら腹式呼吸を続ける。
両目は少し開け鼻先を見つめ、歯と歯を軽くかみ合わせて、舌の表面の部分を歯の裏につけ、対象瞑想を行いながら有想三昧へと向かう。
続いて調息暝想へと移行する。吸気、止気、呼気を調整することに意識を集中すると、外に向かっていた感覚や感情の意識が次第に薄れ身体の内面へと反転する。調息は自律神経を安定させ、脳内細胞の働きを活性化し、アルファー脳波の出現もうながす。直観力や集中力、記憶力そして先見性、創造性などの意識開発も可能になる。
不動の座法から、ゆっくり呼吸を調整し、その意識を口唇の血管に移し、そこに心臓の膊動を感じるように集中を続けると、心拍数が減少し吸気、止気、呼気の間隔がゆっくり長くなり、気持ちも穏やかになって落ち着いてくる。
口唇に心臓の膊動を感じとれるようになると、有想三昧を越え、印契(ムドラー)を結んでいる両手の感覚も希薄になり、両腕が合体した感覚へと進み、両腕及び五体の存在感覚が薄れてくる。
調息瞑想によって外に向かっていた意識を自己の内面に引きいれることに成功すれば、いつでも自己の意識を集中し統一することが可能になり、ラージヤヨガを実践するとクンダリニーヨガ・瞑想へと進む。
やがて静寂の時が訪れ、時間と空間を超越し、無我の境地である無想三昧の意識状態に到達し、クンダリニーの純粋意識が覚醒すると至純、至梵の意識状態である宇宙意識、宇宙真理へと没入することを可能ならしめるのが川上流ヨガ瞑想の真髄である。
(拙著:『リーダーの精神哲学』 1997年発刊 より)
- [2016/09/01 09:00]
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