スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

潜在意識の活用で実在人生が変わる 

20161115川上光正先生ブログ


プラシーボという言葉は多くの人がご存じだろう。いわゆる「偽薬」のことだが、化学的成分としては何の薬効もないプラシーボが実際に症状に治療効果をもたらす、この事実を知る人も少なくないかもしれない。


 アメリカの大学での実験では、歯の痛みを訴える被験者にプラシーボを与えたところ、その三分の一 (三五%)が偽薬にもかかわらず、痛みがぐんと減ったと報告したという。


これは、プラシーボを本物の鎮痛剤だと「思いこむ」ことによって、被験者の脳の中にエンドルフィンという鎮痛物質の作用が働くことを明確に示している。


 つまり、思いこむという「心」の働きが、肉体の生理作用に影響を与えるのである。


 心(意識)が身体に影響を与える。これは、これまでの西洋医学や科学にとっては、拠って立つ根本理論を根底からくつがえされる、大アンチテーゼなのである。


 近代医学界はデカルト以来の心身二元論を柱として発展してきた。


心身二元論とは、心と身体をまったく別のものとして切り離して考え、人間の身体的な病気の原因はすべて肉体上の故障にある、とする考え方である。


 したがって、肉体に変調が生じたときに、治療の対象は該当する部位にしか向けない。


胃が痛いといえば、胃だけが悪くなっていると考え、胃だけを治療して事足れりとするのである。


いってみれば部分主義である。そこでは、心の問題、意識が身体に与える影響はまったく考慮されていない。


 これは西洋医学の限界である。なぜなら、心と身体を切り離して考え、二つはまったく無関係だとする理論では、前述のプラシーボ効果を説明できないからである。


 そこで現在では、西洋医学でも東洋医学的発想が注目され、「心」の作用を重視するようになってきた。


東洋ではもともと、心と身体を別のものとは考えず、「病は気から」という言葉に象徴されるように、人間の病気を心と身体の連関の中でとらえ、治療してきたからである。


 しかし、私の考えでは、医学の対象として扱う「心のレベル」はまだまだ浅いといわざるを得ない。


現代の医学がとらえている、身体に影響をもたらす心のレベルは、人間が自分で自覚できる意識、つまり顕在意識だけにとどまっているからだ。


私たちが自分で思考したり、知覚したりできる意識など、意識全体から見れば、ごく表層の一部分にしかすぎない。(次回へつづく)

(拙著:『リーダーの精神哲学』 1997年発刊 より)

スポンサーサイト

内なる心と魂の開発を2 

20161101川上光正先生ブログ


 私は生まれ持ったその人の資質や性格を改善し、心の豊かさ・EQを高めるにはやはり暝想やハタヨガ、クンダリニーヨガによって心とからだの調和と安定をはかること。潜在心理開発とチャネリングで〝潜在意識の解明〟を行なうこと。さらにを癒すソウルヒーリングで、トラウマ(心の傷つき)を解き、を開発することが先決ではないかと考えている。


 平成九年八月二十六日、羽田発福岡行きの機内で読んだ『財界』(一九九七年九月九日号・株式会社財界研究所刊)に経済評論家、久水宏之氏の「これからの日本経済・『心の豊かさ』を追求する教育のあり方とは」と題した論説記事が掲載されていたので、その全文を引用させていただいた。


 『 「」のもつポテンシャルを開発すべき
 どうすれば心豊かな人づくりができるのか、なぜ、今日のような心の疲弊が社会的に生じているのか、といった問題意識を前提として、小杉隆文相は、最近、中教審に「心の教育のあり方」について諮問を行った。


 これに対し、中教審の有馬朗人会長は、緊張感とともにこれを受けてたつ意志を表明した、と伝えられている。戦後教育のあり方を基本から見直す、という世論にこたえるには、教育界だけの力では足りないというのが本当だろう。とりわけ産業界との関係でいえば、戦後経済を復興、成長させることを最優先してきた関係から、教育も、それに役立つことをまずは目標としてきた。


日教組と文部省の対立も、その前提のうえでのことだったように見える。こうした経済と教育の強い関係は、教育の本来の理念からすれば、はじめから不満なものだったろう。


 しかし、慣性とは恐ろしいものである。日本経済の発展が、稀に見るパフォーマンスであったためか、これをリフレームするきっかけはつかみ難かったようである。その意味では、今回、神戸のような事件が「待ったなし」で見直しを迫ったことは重要である。経済自体も大きな曲がり角にある。創造性や、心のたくましさが、知識や理解力以上に必要とされつつある。


 それにふさわしい教育のあり方となると、大学や、また初等、中等教育のあり方だけでなく、家庭のしつけや企業内教育を含めた生涯教育の観点も必要となる。


 これらを一貫して、「心を豊かにする」教育をどうとらえ、それを貫徹するためにどんな条件が必要かを明確にしなければならない。

しかし、二十世紀の文明をつくった前提は、はっきり言えばこのような「心の豊かさ」を軽視するものだった。物の豊かさが実現すれば、おのずから心は豊かになるとしてきたからである。


 しかし、現実はその期待を裏切っている。したがってその反省として、 「心の豊かさ」を正面から目標として追求する、ということは、これまでの文明の前提からは不連続な飛翔を目指すものといえる。


それは、文明のフロンティアを外に求めてきたことから、内なる心の開発に求めることへの転換の入り口にもなろう。


 今にして思えば不思議なことだが、長い間、人の「心」、つまり、意識活動の根源にある「」の陶冶というテーマは、わきにおかれてきた。

しかし、 「志」のレベルの低下が、日本経済の思わぬつまずきの原因となったことからも明らかなように、新しい時代は、これまでの延長線上にはない。二十一世紀をつくるには、この「」のもつポテンシャルを開発し、境地を深めるステップのありかたを究めていくことが大きな課題となるはずである。


 創造性や、高度情報社会にのまれない心のたくましさをはぐくむためにも、の力をきたえることを正面に据え、これまでの知識、理解力の偏った教育を変革することは不可欠なことと思われる。』


 久水氏は「人の『心』つまり、意識活動の根源にある『魂』の陶冶」の必要性を説き、「創造性や高度情報社会にのまれない心のたくましさをはぐくむためにも、魂の力をきたえることを正面に据え、これまでの知識、理解力の偏った教育を変革することは不可欠なことと思われる。」(傍点は筆者)と指摘している。精神哲学を提唱している私としても氏の意見に賛成である。


 さらに久水氏は「二十一世紀をつくるには、この『魂』のもつポテンシャルを開発し、境地を深めるステップのあり方を究めていくことが大きな課題となるはずである。」(傍点は筆者)とも述べている。


 多少、手前味噌にはなるが、私が研究開発した、「潜在意識の解明」をはじめ「潜在心理開発」「チャネリング」「ソウルヒーリング」など魂を癒すステップこそ、まさに氏が指摘していることではないかと思っている。


 久水氏が提言する、物の豊かさではなく心を豊かにする教育と、内なる心と魂の開発についての洞察と直観に敬意を表したい。

(拙著:『リーダーの精神哲学』 1997年発刊 より) 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。