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部下から「カウント・オン」されるリーダーとは 

20170115川上光正先生ブログ

漢の武帝につかえた官僚に張湯という人物がいた。
地方の小役人から漢の副宰相になった有能な男である。


 彼は単に切れ者であっただけでなく、人間関係の処理にもたくみで、部下の評判もよかった。
彼の人心収らん術の要諦は「功は部下に譲り、責は自分が負う」点にあった。


 あることで武帝の判断をあおぎ、不備を指摘され、叱られる。
すると張湯は謝罪し、帝の意向にしたがったが、それだけでなく、自分の部下の中から有能な人間の名をあげて、「その点はまさに、某が私に指摘したところです。


しかし、それに私は耳を貸しませんでした。
責任は私にあります」とつけ加えるのを忘れなかった。


 逆に、張湯がほめられた場合には、やはり部下の名をあげて、
「それは某という部下の具申であって、私の意見ではありません。
彼のいうことを私はそのまま取り上げたにすぎません」
 失敗は我が身に帰する一方で、手柄は部下に譲ったのである。


 これは、人間のできた人物でもなかなか行いがたいことであるが、
部下を心服させるためにはリーダーに欠かせぬ条件でもある。


ある仕事が成功裡に終ったとき、
 「よくやった。すべて君たちのおかげだ」
 と手柄を部下に譲ることが何より大切だ。この時、
 「いいえ、これも部長の指導のおかげです」
という答を期待してはならないのも、リーダーの辛いところである。


 実際には、この逆のリーダーが多い。
つまり「手柄は自分に、責任は部下に」のタイプだ。
ある仕事がうまくいかなかったとする。
「君のせいだぞ、どう責任を取るつもりだ」
「だから私は最初から反対だったんだ。オレは知らんぞ」
 などと不手際の責任を部下に押しつけて、自分は知らん顔をしている。


一方的に部下の非を責めて、自分の責任問題には口をぬぐっている。
もう、これだけでリーダー失格である。(次回へつづく)


(拙著:『リーダーの精神哲学』 1997年発刊 より)

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リーダーは「棹」をどう入れたらいいか2 

20170101川上光正ブログ


(前回のつづき)
私も部下を信頼して仕事を与え、その進行方法などには口出しをしない。
質問や報告は密に受ける。肝心なポイントのみアドバイスや指示を与え、口出しをしすぎないようにしている。


 不必要にリーダーが指示を出したり、助言をすると、部下が萎縮したり依存してしまうし、いつまでもリーダーの指示なしでは仕事が進められない〝指示待ち族〟になってしまう。


といって、まかせっ放しにして報告も受けないのでは、仕事の方向の軌道修正ができなくなるし、部下の気持ちの負担にもなる。


 「おまえに全部まかせるから好きなようにやってみろ」というまかせ方を意気に感ずる部下もいれば、「どうしよう、私には責任が重すぎる。できっこない」と負担にしか感じない部下もいる。


だから、信頼しても放任してはならない。そのつど、報告を受け、相談にのる必要がある。


 そのへんの機微を私は、
「棹を入れないと、(仕事の)流れがわからない
 棹を入れすぎると流れがつかえる
 棹を置きっ放しにすれば流される
 棹は適度に入れて、入れたらそのつど抜くことだ」
 と表現している。


 情に棹さして流されないように、棹を自分でしっかり持って、自由に操作することでもある。
日常の業務は部下が自主的に行い、最終的な責任は上司が負う。


上司なしでも仕事は進められるが、上司がいないと不安だ、上司がいると心強い。
そう部下から、精神的に「あて」にされるリーダーが実はベストなのである。


リーダーは組織の象徴的存在――リーダーなしでも仕事は進むが、リーダーなしでは組織が成り立たない――であることが望ましいのだ。


 そのためには、ふだんは厳しく接していても、「思いきりやれ、責任はオレが取る」という毅然とした態度が要求される。


(拙著:『リーダーの精神哲学』 1997年発刊 より)

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