スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

明るく磨かれた本田宗一郎氏の魂2 




(前回のつづき)
ただし、これだけなら本田氏は
明るくて楽天的な経営者で
終ってしまい、

そのカルマも明質な
ものではあるが、

「善」というところまでは
レベルアップされない
はずである。

氏が非凡であり、その魂が
たいへん高次であるのは、
次のような点に理由があるのだ。

「金利のサヤ
(車のローン金利)が
儲けの主要な部分になるような

企業のあり方そのものが、
僕のような神経には耐えられない。

自動車工場を経営していても、
技術とアイデアで儲けないで、
金融操作で儲けているのでは、

どうみても自動車会社とは
いえない。

・・・土地を売って儲けても
同じ儲けには違いないが、
何でもいいから儲けさえ
すればいいというのでは、

せっかくの看板が
泣こうというもの」と、
本田氏は言っていた。

モノをつくる労苦を惜しみ、
土地や株だけで安易に
儲けようとする風潮への
嫌悪、批判が語られている。

利潤第一主義を排し、
モノをつくり、
労働することの喜びを、
企業と人の根本理念に
すえようとする本田氏の哲学が

よく表されている言葉だ。

氏のカルマ、魂を
善ならしめていることは、

権力に淡白であったことと
財を世襲させなかったこと
(息子や一族を後継者にしないし
会社にも入れなかった)である。

本田氏は「トップは役員会に
出席するべからず」と言って、

絶対的な権力を持っている
自分たちが役員会へ出ることの
弊害を知悉していた。

自分の権力に遠慮して、
幹部たちのアイデアや思考を
封じてしまうからである。

言い替えると、
彼は自分の有していた
大きな権力を行使しようとは
しなかった。

それだけ欲や権力に淡白で、
固執する心がなかったからである。

権力を志向せず、
同族経営を否定するのは
凡百の経営者にできることではない。

それだけ、氏は
私利私欲から離れ
自由であったということだ。

カルマを善積し、魂を磨くのに、
まず己の欲から離れることが
第一条件である点は再三述べてきた。

世界のホンダの創始者は
この条件を十二分に満たして
いたのである。

(拙著:『リーダーの精神哲学』 1997年発刊 より)

スポンサーサイト

明るく磨かれた本田宗一郎氏の魂 




松下幸之助氏と並び称される
名経営者に本田技研の創始者・
故本田宗一郎氏がいる。

いずれも裸一貫から身を起こして
自社を世界的企業にまで
育て上げた名伯楽である。

本田氏をそうならしめた彼の
カルマや超潜在意識の「質」は、
では、どのようなものであったか。

結論からいうと、
松下氏のそれが徳、意志、
信念といった色合いを
有しているのに比し、

本田氏のは楽天、奔放、
天資天性の「明るい」ものである。

むろん、そのカルマが
善意なものであることは
いうまでもない。

ホンダがまだ浜松の
町工場にすぎない時代から、

「オレたちは世界を目指すぞ」
と口にし、周囲から〝ホラ吹き〟
と呼ばれていた。

希望をいつも公言できる明るさ、
けっして物事を悲観しない
楽天性は、人の上に立つ
人間に不可欠の要素であり、

本田氏が若い頃から備えていた
資質であろう。

創業の翌年、本田氏は
融資のためある大銀行の
支店を訪れ、いきなり
「金を貸してくれ」と頼み込む。

驚いた支店長が、
それでも見所ありと踏んだのか、
彼を料亭へ招待する。

氏はケロリとそれに
応じたという。
この豪放磊落と純真無垢な魅力。

また、本田氏は若者が好きで、
若手社員にも、折にふれて
言っていた。

「会社のために、なんて思うな。
自分の生活をエンジョイする
ために働け」

「大人から〝いい子〟だなんて
いわれるようじゃ、その大人
以上に伸びやしない。

大人に〝悪い子〟といわれる
のを恐れないで、若者らしく
勇気を持っていろいろな経験をし、
視野を広げておくことが大切だ」
――と。

氏も自らこのように生きた
若者であったが、

若い人の将来性を信じ、
その可能性を認めることが
旧世代の責任と考えていた彼の、
オープンマインドな人材育成術を
見るようである。
(次回へつづく)

(拙著:『リーダーの精神哲学』 1997年発刊 より)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。