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所有欲を捨て、モノに執着しない 

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 子孫のために美田を残さず――とは維新の英雄・西郷隆盛の言葉だが、西郷は次のようにも言っている。
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るものなり。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」
 所有欲のない人ほど強く、また信頼できる人はいないということだが、西郷自身もこの言葉どおり、権力も地位も絶大なものでありながら、およそ身辺を飾らず、上野の銅像のように粗末な薩摩絣に兵児帯姿で一年を過ごし、死ぬまで質素な暮らしを通した。
 ヨガの教義にも、モノを所有するなかれ、モノに執着するなかれという教えがあり、無意味な我欲、所有欲を戒めている。
 モノへの執着心は必ず我欲に通じ、エゴや歪みを生み、魂を濁らせ、誤った道を歩ませるからである。
 経済界にも、引退後も地位や既得権を手放すまいと、できれば背後から「院政」を敷こうとして、「代表取締役相談役」とか「代表取締役名誉会長」などという奇怪なポストをつくり出して影響力を行史している人がいるが、これなどは「引き際を誤った」よい例だろう。モノに恬淡とし、所有欲を心の中から閉め出すこと、それが指導者や人の上に立つ者の重要な心がまえの一つである。
 私もずっと前から「解脱する時期がきたら私有財産は一切持つまい」と決め、所有欲を少しずつ捨てることを決意した。そう決意して以来、私はヨガの瞑想中にしばしば、宇宙真理(ブラフマン)と自己の魂(アートマン)の合一・融合を可能にする純粋意識が湧き出てくるのを感ずるようになった。一つの欲から離れることは、己の魂を浄化し意識を高次にすることになるのである。
 しかし、何も持たぬ人が、欲を捨てよ、と説いても、貧しい人が「お金がすべてではない」というのに似た、説得力の不足を感ずるかも知れない。
 私は三十代から四十代前半にかけて、家や土地など私有財産を所有していた。昭和五十七年の福岡県・高額所得番付表の八百番に名を連ねたこともあった。しかし、それは生きるのにかならずしも必要なものではない、魂の幸福と平穏を得るためにはむしろ障害物となる、と悟った。今ではそれを門弟に分配したり、私が理事長をしている育英財団の基金として、「公」のものにするよう努めてきた。一度、所有してみて、やはり所有欲というのは究極的には空しいものであると悟ったからである。
 「私有」のものは一つもなくその一生を終える。それが私の理想とするところである。金財のみならず、権力も権威も不要。ただ、門弟や実修生の集まる修行農場・アシラムの一角に小さな個室を貸してもらい、そこで精神哲学の研究や執筆、瞑想、読書にふけり、訪れる人たちと歓談、清談するのがささやかな希望である。
 モノというのは、実は、所有するよりも、所有したものをあえて手放すことの方がむずかしい。西郷隆盛は征韓論に敗れるや、潔く、あっさりと要職を捨てて鹿児島の野に下った。既得権を手放すのにいささかの躊躇も見せなかった。
 このような恬淡として物事に拘泥しない潔さを、現代のリーダーも見習いたいものである。

(拙著:『リーダーの精神哲学』1997年発刊より)

癒しの光っちゃん 川上光正 記


川上光正オフィシャルサイト
http://kawakami-yoga.com/






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