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「私益」を「公益」に置き換える 

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 あれを手に入れたい、これが欲しい。人間の欲望には限界というものがない。
 しかし、欲望が成功を呼ぶケースもある。自分の望むものになりたい、なんとか物事を成就させたい、そういう願望や欲望に向かってまっしぐらに進むことが成功の要因となるからだ。強い情熱が成功への王道となるわけだ。
一方、欲望というものは、政財界のスキャンダルに明らかなように、結局は道を誤らせその人の身を滅ぼす。情熱は成功を呼び、欲望は失敗に通じる。いずれも「~したい」という願望から発しながら、この二つを分かつものは何か。
 そこに、己を利する心があるかないか。その願望が自分の利益を図る心、自分の情実を優先する意図から発していないか、それが欲望と情熱の違いであり、失敗と成功を分ける鍵となる。
 己の利益を優先させる欲望も人を動かす要因となるが、目的のためには手段を選ばずで世の中の常識や道理に無感覚になり、敢えてそれに反してまでも、強引に成功への近道を歩もうとする。そのため、うわべの成功をつかむのは早いかもしれないが、その成功は長続きしない。結局は失敗に終わる。
 業者から多額の金品を受け、その金でマンションや別荘、高級車を買って自分の欲望を一旦は満たしても、やがて事が発覚して収賄罪で逮捕――欲望の行き着く果ては、大方こんなところである。
 これに対して、純粋な情熱や熱意は、一見迂遠だ。努力してもなかなか結果は出ないし成果もわずかずつ積み重ねていくしか方法がない。まだるっこしく、じれったい。だが結局は、この遠い道が成功への最も近い道であり、成功を永続させる方法でもあるのだ。
失敗は早くやってくるが、成功は極めてゆっくりしかやってこない。また、ゆっくりやってきた成功にしか本当の価値はないものなのである。
 とはいえ、「無私」であることはむずかしい。人間が完全に私利私欲を離れるということは困難なことかもしれない。
 だから、と私は考える。私益を図る心をせめて自分でなく、組織や社会に向けるべきではないか。自分のためでなく、会社や会社を支えてくれる人たちのために「利」を図ろうと考えることが大切ではないか。むろん、これだけでは不完全だが、さしあたって、私利の心を薄めるのには有効な方法であると思う。
 「公欲」に目覚めれば、「私利を小に公欲を大に」と、自らの考えが自然に変化するのである。
 つまり、私益を「公益」に置き換えることで、欲望の質を高め、慈善と博愛の精神をもつ純粋な情熱に変えていくわけだ。
 リーダーの願望が「私」を離れ、「公」へ向かうものであれば、それがいかに困難であっても部下はついてくる。しかし、リーダーの掲げる目標・目的がいかに高尚であってもそこに少しでも私欲が混じり、自分だけの利益を図ろうとする姿勢が垣間見れれば、部下は従う意欲を失う。たとえ、高額な報酬を約束しても、そのリーダーを尊敬することはできないものだ。
 『エミール』を著し、文明のあり方に疑問を呈して、“自然に還れ”と主張したフランスの作家であり思想家であるルソーは、「十才のときは菓子に、二十才のときは恋人に、三十才のときは快楽に、四十才のときは野心に、五十才のときは貪欲に動かされる。人間はいくつになったら、叡智のみを追うようになるのであろう」と述べている。
 悲しいかな、人間の欲望には果てがない。だからこそリーダーは、少しでも「私利」「私欲」を捨て、その分「公利」「公欲」をもつよう努めなくてはならない存在なのである。

(拙著:『リーダーの精神哲学』1997年発刊より)

癒しの光っちゃん 川上光正 記


川上光正オフィシャルサイト
http://kawakami-yoga.com/


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